2017年6月3日 中島公園に市立博物館 札幌市検討
約10年前に歴史のページ公開、それ以来中島公園に「札幌歴史館」を設置してほしいとの思いを抱き続けて来た。それが札幌市立博物館という形で実現しそうな運びとなった。中島公園は札幌の歴史をなぞるように変化して来た。中島公園にとって最も相応しい施設と考える。
6月3日付け北海道新聞によると「札幌市が市内の自然史を中心とした市立博物館を、中央区の中島公園内に整備する案を検討している」ことが2日に分かったと報じられていた。今後の動きに注目したいと思う。
どこに建つのか考えながら散歩した→中島公園に市立博物館(検討)
2014年4月 『中島公園三十三選』のリーフレット発行
中島公園三十三選の概略ははこちら→ 中島公園三十三選
候補地43枚の写真をブログに掲載→ 三十三選候補一覧2011年11月
「三十三選」及び選定の経緯はこちら→ 青柳庵日記中島公園三十三選
開拓時代から戦後までの中島公園(リンク)
「中島公園公式サイト」をご覧下さい→ 中島公園の歴史を振り返る
札幌御料地豊平館之図 明治13(1880)年建設 札幌市公文書館所蔵
国指定重要文化財豊平館は1958年、大通西1より中島公園に移築。
中島遊園地時代(1871年~1910年)
中島公園には歴史的資産がたくさんあるが見え難い。それを何とか掘り起こして活用したいと考えている。素人が 『中島公園百年(山崎長吉)』を参考にして書き始めたものの能力不足は否めない。今後さらに勉強をし調査して、資料として役立つものにするために更新中。
1910年10月8日 女子小学校秋季運動会 札幌市公文書館所蔵
この時代の写真がなかなか見つからない。中島遊園地が中島公園と改称された1910年の女子小学校秋季運動会の写真を掲載。明治時代に写真の説明にある「女子小学校」と言うものが存在したのか分からない。
明治4年(1871年)
鈴木元右衛門堀完成。これが中島公園の歴史の始まりと考える。鴨々中島に貯木場と水門が設けられた。これが現在の中島公園の菖蒲池のルーツと思う。
明治7年(1874年)
7月 吉田堀、大友堀、寺尾堀を通して創成川と命名
9月23日 山鼻村設置
明治12年(1879年)
8月2日 借楽園に屯田兵招魂之碑建立 のち中島遊園地移設。
この年、水天宮祭神を札幌に移座 のち鴨々川ふちに移座
明治15年(1882年)
6月 鴨々中島を公園予定地にする意見書提出
10月 2日 山鼻村戸長 中島遊園地を学田にする上申案提出
これが中島公園の始まり。中島公園の歴史は意見書の提出から始まった。大通公園が官主導で防火帯として始まったのとは対照的に、民意で造られた公園である。
明治17年(1884年)
6月26日 中島遊園地を公園予定地に編入意見書提出
7月 2日 公園予定地認可
明治19年(1886年)
12月15日 中島遊園地16万4618坪を札幌区編入
この年、中島遊園地造成工事着手
明治20年(1887年)
7月25日-8月3日 北海道物産陳列場開設 北海道物産共進会開催
7月29日 東京大相撲開催
8月 2日-3日 中島遊園地馬場(札幌競馬場)開設 札幌競馬開催
詳細はこちらをクリック! →資産活用「簡単解説」2.中島競馬場
中島遊園地馬場(1887年~1907年) 札幌市公文書館所蔵
白鶴橋、キタラへの園路。この直線が競馬場コース跡。2012年6月
物産共進会開催以来、中島公園は博覧会と共に歩んできた。昔からイベントの中島だった。競馬も相撲もやっていたのだ。イベントとスポーツの歴史はここから始まる。今よりよほど楽しそう。
参考写真 札幌市公文書館所蔵
札幌文庫84に「明治末期より大正初期にかけて、毎年のように札幌で馬匹共進会が開かれているが、それらの会場も多くは中島公園が利用されたものと思われる」と記されている。中島公園と馬との関わりを示す例として掲載。
明治・大正時代の馬は農耕・交通の中心的手段で、競馬といっても、現在の競馬と異なり観衆と競走馬には濃密な関係があったと思う。
明治22年(1889年)
この年、岡田花園開設。
岡田花園、1889年~1926年 札幌市公文書館所蔵
岡田花園は1889(明治22)年から1926(大正15)年くらいまで存在したが、はっきりと痕跡を残しているのは天文台くらいだろう。岡田山は池を造ったときに出た土を盛って造ったと聞いたことがある。
岡田花園エリアは、現在の中島公園で言うと日本庭園から豊平館、天文台、札幌コンサートホール Kitaraあたりと思う。
詳細はこちらをクリック! →資産活用「簡単解説」3.岡田花園
1889年 水天宮、中島遊園地へ移座。
水天宮 1914年3月13日 札幌市公文書館所蔵
明治24年(1891年)
5月 7日 創成小学校運動会開催
6月 5日 弓道場開設
9月27日 北海道物産陳列場事務所着工 のち完成
明治27年(1894年)
6月13日 日清戦争がい旋歓迎会開催
明治30年(1897年)
この年、鴨々川沿い遊園地 近く五十嵐花園設置
明治38年(1905年)
9月10日 日露講和条約締結不満決議文を持って上京。山崎孝太郎
日露戦争が終わったのは百年以上も前。日本の歴史上大きな出来事だが、その後第二次世界大戦に進む。戦争末期には中島公園内に陸軍第5方面軍憲兵司令部が設置され、戦後その施設は米軍に接収された。
戦争になれば中島公園も公園でなくなってしまう。あらゆる面において平和ほど有り難いものはない。永遠に続くことを祈る。
明治40年(1907年)
7月 8日 屯田兵招魂之碑移転地鎮祭
8月 1日-2日 札幌招魂祭開催
10月21日 長岡安平 中島公園設計方針提出 公園建設以後予算化 この年、札幌競馬廃止
早くも札幌競馬廃止。明治時代に始まり明治で終わった中島遊園地馬場。中島公園変遷の歴史の始まりか。この後中島公園内には多くの施設が設置され廃止された。多くの施設は札幌市内に分散して行った。札幌競馬場が桑園に移転したのが、市内分散の始まりのような気がする。
当時の中島競馬場は社団法人として政府の認可を受ける要件を満たしていなかった。その為札幌競馬倶楽部は子取川農場(北14西19)の敷地を買収して新競馬場を建設した(子取川競馬場)。これが現在の札幌競馬場であるといわれている。
明治41年(1908年)
5月25日 忠魂碑建立
7月 鴨々川水門決壊
8月 1日-2日 札幌招魂祭開催 以後継続
?月 3日 札幌区立女子職業学校移設
中島遊園地を中島公園と改称(1911年~1926年)
1925年 菖蒲池のボートと藻岩山 札幌市公文書館所蔵
明治43年(1910年)
この年、中島遊園地を中島公園と改称 継続年度で造成
1910年に中島公園が誕生した。中島遊園地が誕生してから24年。菖蒲池のルーツ、鈴木元右衛門堀完成から39年後のことである。
明治45年(1912年)
弥彦(伊夜日子)神社ご分霊を祀り神社建立。
大正 2年(1913年)
9月13日 弥彦(伊夜日子)神社 仮拝殿遷座祭挙行
大正 7年(1918年)
8月1日-9月19日 開道50年記念博覧会開催 第一会場
上は記念絵はがき、下は迎賓館と名誉橋。 札幌市公文書館所蔵
迎賓館は池の中ほどの島にあり通行のため橋が架けられた。迎賓館は博覧会終了後はライオン食堂として利用された。今風に言えばお洒落なレストランとなる。三つの島の真ん中にある一番大きい島に建てられた。
手前の大きい島がライオン食堂があった島。2013年8月31日撮影
博覧会は僅か95,000足らずの人口の札幌に、50日間で140万もの観客を集める空前のイベントとなった。こうして札幌も近代都市となった。
8月1日 札幌電気軌道会社、停公線(路面電車)開通
博覧会の為に軌道工事を行い電車を走らせた。停車場通を南に進んでススキノ、東に曲がり南4条東3丁目に達する路線だった。
札幌区中島公園地(1918年当時の地名)札幌市公文書館所蔵
博覧会場(中島公園)行きは、停車場通路線に接続して西3丁目通りを南9条まで南進するルートに設定した。
大正12年(1923年)
2月11日 氷上カーニバル開催 以後継続
参加者の仮想で盛り上がる氷上カーニバル。 札幌市公文書館所蔵
黒澤明監督の映画「白痴」の舞台になった「氷上カーニバル」は、この年に始ままった。昔は菖蒲池でスケートができたが、今は立入禁止。 天然リンクは人が沢山乗ると重みで少し沈むそうだ。面白そうだが危険かもしれない。
昔は凍結した菖蒲池はスケート場となった。 札幌市公文書館所蔵
5月 1日 製氷場とプール改造工事着手
中島プールの場所は今の管理事務所辺り。南北に長い巨大プールで1968年まで存在した。そして2代目プールが建設され、1969年から1996年まで公認プール(C級)として使用された。その後撤去。
1968年まであった巨大な中島プール。 札幌市公文書館所蔵
大正13年1924年)
8月21日-23日 第一回全道少年野球大会開催 第四回以降樺太追加
大正14年(1925年)
8月 1日-5日 全道中等学校水上競技大会開催
10月 5日-9日 北海道美術展覧会 旧農業館開催
野球、相撲、水泳、スケート、ホッケーその他、スポーツイベント等が目白押しの中島公園は活気があって賑やかだった。なんとか昔の活気を取り戻したい。しかし、現在は水と緑、歴史と芸術の中島公園を目指しているが「札幌まつり」だけは賑やかに昔の雰囲気を保っている。
大正15年(1926年)
8月 北大予科対小樽高商対抗第一回水泳大会開催
12月23日 全道中等学校氷上競技大会開催
産業・スポーツ振興から戦時、敗戦(1927年~1944年)
昭和初期の菖蒲池と藻岩山。 写真は奥山富作氏撮影
昭和 2年(1927年)
6月 7日-20日 第一回フランス美術展覧会開催
6月 9日 第一回全道ホッケー選手権大会開催
9月28日 幌平橋架橋
豊平川に幌平橋が架かり便利になったが、川向こうのりんご園の人達は、札幌から川をわたってリンゴを盗みに来るのではないかと心配していたそうだ。今も昔も世の中は心配の種が尽きない。
この年、尼港殉難碑建立
札幌護国神社内にある「尼港殉難碑」。2013年9月9日撮影
昭和 3年(1928年)
6月 5日 NHKラジオ放送開始
8月 5日-6日 北海道樺太少年野球大会ラジオ放送
11月29日 J0IKラジオ体操放送開始 ローカル放送
中島公園にNHK放送局が出来た昭和3年、ラジオ体操の放送が開始された。ラジオ体操は今でも毎朝やっている。場所は南14条橋付近(中島公園南側)の広場や豊平館前などである。
今でも毎朝6時30分よりやっているラジオ体操。2003年8月30日
昭和 5年(1930年)
11月3日 第1回全道ラグビー選手権大会開催
昭和 6年(1931年)
5月 9日-15日 第一回北海道美術連盟主催美術展覧会開催
7月12日-8月20日 国産振興拓殖博覧会開催
この年、自動車練習場に使用される。
昭和 7年(1932年)
7月21日-9月20日 発明と国産奨励展覧会開催
7月21日 放送塔完成
この年、札幌専修簿記学校設置
昭和 8年(1933年)
11月17日 札幌招魂社移転
昭和10年(1935年)
1月13日―14日 第12回北海道樺太氷上選手権大会開催
10月 3日 札沼線全線開通祝賀会開催
この年、中島球場をスケート場に使用
中島球場のスケート場は球場が閉鎖される1980年の少し前までやっていたと思う。私もスケートに行ったことある。スケート場、水泳プール、子供の国など人様の遊び場はなくなり、代わりに犬の遊び場が増えたような気がする。
昭和12年(1937年)
12月 6日 第5回冬季オリンピック札幌大会氷上競技場の工事に着手
第5回冬季オリンピックのポスター。 札幌市公文書館所蔵
IOCで決定したのに戦争のため返上。そのため「幻のオリンピック」と言われている。スピード、ホッケー、フィギュア等、スケート競技は中島公園で開催することに決まっていた。詳細 → 幻のオリンピック
北海タイムス1937年9月8日切抜き。札幌市公文書館所蔵
戦争さえなければ中島公園で冬季オリンピック開催のはずだったが、流れてしまった。あれから34年再び札幌の地でオリンピックを開催することになったが、スケートは真駒内にもっていかれた。 ああ幻のオリンピック、なんで消えたしまったのだ。このページを飾るはずだったのに。
2013年9月8日、2020年の東京オリンピック開催が決定した。札幌と同様1940年に東京で開催されるはずだった東京オリンピックも、札幌と同じ理由で返上した。このような結果を招かない為には平和を守ること、そして原発問題を解決すること、この二つが大切と思う。決定した以上、ぜひ開催してほしい。
昭和13年(1938年)
1月13日 冬季オリンピック競技スケートリンク修祓式(しゅうばつしき)挙行
1月14・15日 全国氷上競技選手権大会開催
8月10日 市立高等女学校が全焼した後新築落成。
市立高等女学校は今の札幌パークホテルがある場所に建っていた。後に中島中学校(現在は近くの電車通に移転)となる。
昭和14年(1939年)
4月1日 札幌招魂社を札幌護国神社と改称
札幌忠魂社は1939年札幌護国神社と改称。札幌市公文書館所蔵
5月 風致地区指定
風致地区とは、都市計画法に基づく地域地区の一種で、都市の風致(札幌市においては、本市の自然的環境の骨格をなす山並み、丘陵、河川及び市街地に残る緑地を中心とした緑豊かな都市環境をいいます。)を保全するために定められた地区(札幌市より)。
昭和15年(1940年)
10月 3日 日独伊三国同盟大政翼賛会道民大会開催
この年、札幌護国神社神域拡張、北部軍憲兵指令部設置 旧農業館接収
何となくきな臭くなってきた。こうなると中島公園だけ風光明媚、平和を楽しむわけには行かない。私の生まれた年だが、これから先は坂を転げ落ちるようなものだった。
昭和16年(1941年)
2月11日 氷上カーニバル開催(戦前最後の開催だが戦後再開)
7月21日-30日 国民学校児童 中島運動場 中島プール勤労作業
7月22日 北海道地方防空学校消防会館に設置
8月 木下成太郎像建立(今でも菖蒲池東側の森の中にある)
木下成太郎像の詳細→ シンポジウム2010「北の彫刻」
戦争が始ると何もかも戦争のためになってしまう。中島公園も例外ではない。戦争に向かって転がり始めたらおしまいだ。誰も止めることは出来ない。このことは歴史が証明している。予兆を見つけて転がる前の対応が重要と思う。
昭和18年(1943年)
9月27日 アッツ島玉砕兵士慰霊祭挙行
昭和19年(1944年)
8月19日 札幌市立高等女学校に看護婦養成所併置
1944年 戦争末期の寂しいボート乗場 札幌市公文書館所蔵
戦後の復興、イベントの中島公園(1945年~1969年)
1959年10月百花園完成 「森の歌」建立 札幌市公文書館所蔵
(氷上カーニバルは戦後再開されたが時期不明。池のリンクは1958年ころ廃止、その後は中島球場内で開催。1974年が最後の開催))
昭和20年(1945年)
10月 5日 進駐軍第五方面軍憲兵指令部接収
中島プール接収
アメリカ人はプールが好きだ。首都圏での話しだが、基地の中の米軍専用のプールで泳がせて貰ったことある。水がもの凄くキレイという印象だった。その頃の日本のプールは濁っていて汚かった。カラフルでパンが白くて水が透き通っている、これがアメリカの印象。当時は憧れの国だった。
昭和21年(1946年)
6月16日 札幌文科専門学院設置 旧農業館借用
12月21日 札幌護国神社 札幌彰徳神社改称
この年、進駐軍真駒内に移駐
菖蒲池に鯉10万匹放流
平和はいい。さっそく鯉を10万匹放流だ。のど自慢も始まった。これで腹いっぱい飯が食えれば言うことなしだが、コイのエサは何だったのかな。それとも大きく育った鯉が人間の餌になるのかな?なにぶん食料不足の時代だった。
昭和22年(1947年)
3月 9日 NHKのど自慢全国コンクール北海道地方大会放送
5月 1日 札幌市立高等女学校に第五中学校併設(現、中島中学校)
昭和23年(1948年)
7月24日 米第11空挺師団かまぼこ兵舎払下げ
昭和24年(1949年)
7月 3日 中島児童会館開館(払下げかまぼこ兵舎利用)
中島児童会館の詳細はこちら→ 中島児童会館
払い下げであれ何であれ日本初の児童会館の開館だ。東京の方がちょっと早いという説もある。こぐま座も日本最初の公立の人形劇場。豊平館だって、あの有名な鹿鳴館より3年も古いのだ。茶室八窓庵は江戸初期の茶室である(豊平館と八窓庵は移築された建物)。
昭和25年(1950年)
3月14日 札幌文科専門学院 札幌短期大学改組 旧拓殖館を借用
3月31日 札幌高等家政女学校 札幌星園高等学校改組
4月 1日 札幌市立第一高等学校 道立東高等学校改称
昭和26年(1951年)
8月 4日 旧拓殖館 道立地下資源調査所使用
昭和28年(1953年)
11月16日 東高等学校移転 中島中学校全面使用
昭和29年(1954年)
8月 1日 札幌中島スポーツセンター設置
イベント会場「中島スポーツセンター」 札幌市公文書館所蔵
上から中島スポーツセンター、中島球場、百花園、菖蒲池。今残っているのは菖蒲池だけ。ほとんどは緑のオープンスペースとなる。
8月22日-26日 第九回国民体育大会秋季大会開会式開催
札幌中島スポーツセンターバスケット競技会場 公園内に庭球場
相撲場設置
スポーツ、芸能なんでもありのスポーツセンター。満席になると6,000人。イベント終了で、一挙にススキノに向かうのだから、ちょっとした賑わい。文字通りススキノの延長線上の中島公園だった。因みにキタラは2,000席。
昭和30年(1955年)
1月 第九回国民体育大会冬季大会アイスホッケー中島特設リンク開催
8月 大相撲北海道準本場所開催 中島スポーツセンター会場 以後継続
10月14日 札幌短期大学南8条西18丁目移転
昭和31年(1956年)
8月26日-9月18日 原子力利用博覧会開催
札幌中島スポーツセンター会場
12月22日 NHK大通放送局開設 中島公園から移転
米軍、札幌短期大学、NHK札幌放送局も中島公園を離れて、それぞれの場所に移転した。これらは公園が公園らしくなる移転と言える。
明治時代に著名な造園技師の設計により素晴しい公園になるはずだったが、富国強兵、産業振興の波に押されて、ゴチャゴチャなってしまった感がある。それらを少しずつ修正する流れが始まった。
昭和32年(1957年)
3月22日 総合公園指定
5月31日 豊平館北一条西一丁目から移転
豊平館の詳細はこちら→ 豊平館(国指定重要文化財)
中島公園へ移築3年後の豊平館 1960年9月27日
昭和33年(1958年)
7月 5日-8月31日 北海道大博覧会開催
博覧会案内図の一部をコピー、池を挟んで左側に天文台、右側に美術館・郷土館として利用された豊平館。 マップ全体→北海道大博覧会
北海道大博覧会の会場として誕生した「子供の国」。札幌市公文書館所蔵
「子供の国」は1958年に開園し、1994年円山動物園の中に移設され、その跡地は札幌コンサートホール・キタラとなっている。天文台も大博覧会を機に開設されたが現在も活動を続けている。
9月 1日 博覧会施設の内、子供の国と天文台を独立施設へ転換
10月12日 博覧会事務所を中島児童会館に転換
この年モスクワボリショイサーカス開催、国立チェコフィルハーモニー交響楽団公演。いずれも札幌中島スポーツセンター会場で実施。
北海道大博覧会開催で、前年に移転した豊平館に加え、子供の国、天文台、児童会館が施設転換して中島公園は大きく変貌した。コンサートにボリショイサーカスと、なんとも賑やかな中島公園になったが、明治の先人が描いた公園構想とは、だいぶかけ離れたものになったような気がする。
昭和34年(1959年)
7月 1日 札幌彰徳神社 札幌護国神社改称
10月 百花園完成 森の歌など五基像逐次建立
1987年9月11日 後ろから見た「母と子の像」。 札幌市公文書館所蔵
森の歌など五基像についてはこちら→ 思い出の山内壮夫ワールド
遠くに見えるのは藻岩山。山裾辺りに噴水に囲まれた白い彫刻「森の歌(山内壮夫)」が見える。当時の「山内壮夫ワールド」の賑わいが偲ばれる2枚。
「森の歌」はブロンズで再鋳造されて、今は中島児童会館前にある。
噴水で遊ぶ子等。上2枚は1991年6月23日「中島パフェ」訪問者撮影。
昭和35年(1960年)
7月 第一回バラまつり 以後継続
昭和36年(1961年)
9月 1日札幌簿記専修学校 旧拓殖館移転
この年、日ソ体操競技大会開催 札幌中島スポーツセンター会場
昭和38年(1963年) 日本庭園完成
昭和39年(1964年)
5月26日 豊平館国重要文化財指定
7月26日 ホテル三愛落成(現、札幌パークホテル)
10月 1日 札幌簿記専修学校 南8条西18丁目移転
10月14日 中島中学校取壊し 学校移転
この年、松方コレクション展覧会、プロボクシング全目本バンタム級タイトルマッチ開催、札幌中島スボーツセンター会場
1966年~1970年の中島公園 → 中島公園~1960年代後半~
ウオーターシュート、1966年頃、撮影は札幌在住のmisawaさん。
昭和41年(1966年)
5月20日 ホテル三愛 札幌パークホテルと改称
昭和42年(1967年)
9月16日 ノモンハン英魂碑建立(札幌護国神社内)
11月 園芸市15周年記念碑建立
この年、ウイーン少年合唱団公演 札幌中島スポーツセンター会場
昭和43年(1968年)
5月 2日-31日 北海道緑化園芸協議会 園芸市開催 以後継続
7月 アッツ島玉砕雄魂碑建立
札幌護国神社にある「アッツ島玉砕 雄魂之碑」
10月10日 札幌護国神社焼失
プロボクシング、松方コレクション展覧会、ウイーン少年合唱団公演。百花園も完成、パークホテル改称など地下鉄開通以前の中島公園の最盛期の感じ。中島スポーツセンターの歌謡ショーに行ったのもその頃だった。「かおるちゃん、遅くなってごめんね」と歌い、最後に「バカヤロー」と怒鳴るのだからビックリした。こう言うことは不思議に覚えている。
昭和44年(1969年)
4月25日 野外ステージ建設 7月5日オープン
7月10日 中島プール改修オープンC級公認
8月 6日 道警本部中島庁舎 旧拓殖館使用
8月 地下鉄工事のため290本樹木移植
9月 池を干し地下鉄工事開始
水と緑、歴史と芸術の公園へ(1970年~)
1992年5月17日の中島公園、豊平館前に東屋と木柵、天文台の向こうに「子供の国」の観覧車が見える。(「中島パフェ」訪問者の投稿写真)
昭和45年(1970年)
5月 地下鉄工事完了公園内復元
8月 3日 札幌護国神社しゅん工
昭和46年(1971年)
9月 8日 八窓庵 北4条西12丁目から移設
移設30年後の国指定重要文化財「八窓庵」。2001年10月27日
10月 メレヨン島戦没者慰霊碑建立
12月 地下鉄開通 中島公園駅 幌平橋駅設置
札幌オリンピック開催を前にして地下鉄が開通した。この4年前始めて札幌の冬を経験。北24条の電停で吹雪の中で電車の到着を待つ長い長い行列を見て北国の厳しさを実感した。そして、雪国にこそ地下鉄が必要と思った。温かい「東京にあるのに、なぜ寒い札幌に地下鉄がないのだ」と不思議に思った。
1972年5月 空撮・中島球場、百花園、子供の国、天文台、菖蒲池等。
オリジナル写真は札幌市公文書館所蔵、赤丸は管理人付記。
ウオーターシュートの思い出、「中島パフェ」訪問者の投稿
1972年当時の空撮写真を見て、地上で公園を楽しんでいた身として思い出がわきました。遊園地として設けられていた「ウオーターシュート」に気がついたのです。画面やや左上方にジャンプ台を思わせるスロープが池に向かって延びています。(下にウオーターシュートのジャンプ台図面)
菖蒲池南(キタラ)側、右側に河口。 札幌市公文書館所蔵
長方形のボートに数人の客が乗り、船首の平たいところに船頭が立ちます。ボートが着水する瞬間に船頭がジャンプしてボートを安定させるダイナミックでスリリングな遊具でした。人手が掛かるので博覧会終了後に無くなったと想像します。
ボートに乗ってウオーターシュート見物 札幌市公文書館所蔵
昭和48年(1973年)
6月 日時計設置
6月 天皇皇后両陛下参拝記念碑建立
昭和49年(1974年)
中島球場で最後の氷上カーニバル開催
昭和50年(1975年)
7月 5日 子供の冒険広場開設(鴨々川水遊び場)
鴨々川水遊び場の詳細はこちら→ 中島公園鴨々川水遊び場
鴨々川遊び場に架かる太鼓橋が見える。 札幌市公文書館所蔵
8月 2日-3日 第一回バザール開催
8月 北千島慰霊碑建立
12月25日 歳の市開催 以後継続
歳の市も長続きしましたが、近頃は薄野側入口に2,3店だけの出店。
昭和51年(1976年)
6月12日 薄野歩行者天国中島公園まで延長
今は薄野までだが、歩行者天国は中島公園までつなげて欲しい。札幌駅から中島公園までの駅前通は一つのゾーンと考えてもらいたい。それに大通公園がクロスする札幌は、訪問者にとって分りやすく親しみやすい街になると思う。
6月15日 中島児童公園完成
7月24日 人形劇場こぐま座オープン
こぐま座の詳細はこちら→ 札幌市人形劇場こぐま座
公立で全国で初めての人形劇場「こぐま座」。2003年6月22日
昭和52年(1977年) 中洲1号橋完成(2004年4月28日道新)
昭和53年(1978年)
4月 曙地区第8分区町内会、中洲橋付近の鴨々川清掃(以後継続)
8月 北海道全海軍英霊碑建立
10月 地下資源調査所 北19条西11丁目に移転
昭和54年(1979年)
8月 道警本部中島庁舎移転 旧拓殖館取壊し
8月 史上最大のサーカス開催 札幌中島スポーツセンター会場
11月 日中交歓卓球大会開催 札幌中島スポーツセンター会場
昭和55年(1980年)
2月3日冬のスポーツ博物館開設(元NHK札幌放送局建物利用)
3月15日道立札幌中島体育センター(現、中島体育センター)完成
中島体育センターの詳細はこちら→ 札幌市中島体育センター
6月 8日 鴨々川にウグイ放流
7月 9日-14日 中島球場最終試合、以後、中島球場は取壊し
野球場移転は寂しい気もするが、水と緑、歴史と芸術の中島公園を目指す、新生中島公園の第一歩のように思う。
昭和56年(1981年)
8月15日 妙心寺主催 鴨々川とうろう流し開催 以後継続
とうろう流しの詳細はこちら→ 灯籠流し札幌市中島公園鴨々川
昭和57年(1982年)
8月 1日 札幌市制60周年記念宝さがし開催
昭和58年(1983年)
10月28日 歩くスキーコース設定 以後継続
歩くスキーの詳細はこちら→ 中島公園で歩くスキー
歩くスキーの講習会。1985年1月7日 札幌市公文書館所蔵
歩くスキーコースの設定は大変よいことだと思う。周辺はホテルが多いので、観光客の皆さんが手軽に体験してもらうのも良い。スキーの無料貸出がある。
昭和59年(1984年)
7月 市立天文台全面改修
昭和60年(1985年)
3月26日 中島児童会館改築オープン
5月 ヨットと方向像建立
6月 7日 北鎮砲兵発祥の地碑建立
6月 7日 彰徳碑建立
この年、童話の小道建設
中島児童会館への道は「童話の小道」。2003年6月21日
昭和61年(1987年)
9月14日 歩兵第26聯隊軍旗奉焼の碑建立
昭和62年(1988年)
7月12日 バイアスロン入賞顕彰碑を冬の博物館前に移設
昭和63年(1988年)
6月 3日 冬のスポーツ博物館前にNHK放送記念碑を建立
NHK札幌放送局の跡地に建てられた「放送記念碑」。2013年9月
放送記念碑には次のような説明文が書いてある。「ここは昭和3年6月5日北海道で初めて放送が開始されたゆかりの地です。NHK札幌放送局は、当時ここにあった中島演奏所でJOIKとしてラジオの第一声を発し、それ以来昭和34年までこの地にありました。北海道における放送の歴史を末永く後世に伝えるため、この放送発祥の地に放送開始60周年を記念して、放送記念碑を建立しました。昭和63年6月」。
8月2日 皇太子殿下ご夫妻・紀宮さま中島公園を散歩(投稿)
今朝6時半頃に皇太子殿下ご夫妻が紀宮さまをお連れになり公園を散歩されていました。高校総体開会式でご来札と分かりました。
お宿のパークホテルの総支配人やお付の方とご一緒でした。早朝の体操や散歩の市民とも言葉を交わされながら、爽やかな公園を楽しまれているご一家に遭遇してラッキーでした。その幸運を「中島パフェ」の管理人さんにも伝えたくて、下手なイラストにしました。
(「中島パフェ」閲覧者)
昭和64年(1989年)
4月22日 鴨々川清掃奉仕(曙第 8分区町内会)、毎年実施
中州橋付近の鴨々川で町内会が清掃。札幌市公文書館所蔵
平成 2年(1990年)
2月5日さっぽろ雪まつり雪像を中島会場に拡張(平成5年まで)
1990年~1993年さっぽろ雪まつり中島公園会場札幌市公文書館所蔵
この辺が札幌市イベントが中島公園で開催されるピークのような気がする。その後、雪まつりは4年間、実施したのだが、お客さんも少ないと言うことで止めた。それ以来、子供の国や、冬のスポーツ博物館の移転など、いろいろ変化があった。
平成 4年(1992年)
5月17日 豊平館前で写生会(「中島パフェ」訪問者の投稿)
東屋があり柵がありることが、2013年の今と違う。
7月10日 桂市長が札幌コンサートホール建設地について発言
市長は「中島公園がふさわしい」との考えを明らかにした。「子供の国」を移転して跡地に建てる考え。豊平館を含め「歴史・芸術ゾーン」構想。
7月11日 鎮魂碑(樺太太平洋炭鉱病院殉職看護婦慰霊碑)を建立
平成 5年(1993年)
4月15日 越冬のコイ50匹死ぬ。鴨々川に放流しているコイ800匹を菖蒲池に収容。50匹が冬を越せずに死んだことが判明。(道新10年前)
平成 6年(1994年)
5月8日 子供の国を廃止(7年4月29日円山動物園子供の国再生)
4月15日 道立中島体育センターの老朽化に伴う移転先は豊平霊園跡地と決定。現在の道立総合体育センター「きたえーる」。(道新10年前より)
6月5日 中島公園で「全国エコロジカル・フェスティバル」開催
初の「環境の日」にフリマや環境図書のコーナー。5万人近くが訪れ身動きも出来ないほどの盛況。1着500円のコートなど格安品も。(道新10年前)
野球場に続き子供の国も移転、冬のスポーツ博物館とスポーツセンターの移転などで、大幅に緑地スペースが増えた。水と緑、歴史と芸術の中島公園へと大きく舵を切りだした。
平成 7年(1995年)
7月 7日 風情があった豊平館界隈(「中島パフェ」訪問者の投稿)
豊平館前の風情は今と比べると自然環境が保たれていて風情があった。
詳細についてはこちらをクリック! → 百花園があった頃の中島公園
道立文学館の開館式典と記念展開会式が22日、市内のホテルと文学館でそれぞれ開かれ関係者260人がオープンを祝った。(道新10年前より)
文学館の詳細はこちら→ 中島公園の施設 北海道立文学館
開館9年目の北海道立文学館。2004年4月4日。
平成 8年(1996年)
8月 6日 第20回全国高等学校総合文化パレード中島公園を出発
平成 9年(1997年)
6月札幌まつりで 徒歩暴走族キタラ前広場を占拠。警察の助言を受け翌年よりキタラ周囲ににフェンス。(2004年6月16日道新)
7月 4日 札幌コンサートホールKitara オープン
キタラの詳細はこちら→ 札幌コンサートホール・キタラ
水と緑の中にある札幌コンサートホール・キタラ。2002年11月4日
12月 中島公園内舗装等の工事(継続事業)平成9年度分完了
平成10年(1998年)
9月 3日 菖蒲池をさらう工事(投稿写真)
菖蒲池の水を抜いてしまうという珍しい写真を「中島パフェ」訪問者より提供して頂いた。何の為の水抜きかは調べなければならない課題。
菖蒲池の北側の様だ。鴨は飛んで行くので放っておくとしても鯉は回収しなければならない。どうやらその作業が行われているようだ。
詳細についてはこちらをクリック!→ 百花園があった頃の中島公園
参考文献:中島公園百年 山崎長吉 北海タイムス社
さっぽろ文庫84中島公園 札幌市教育委員会編 北海道新聞社