「札幌彫刻美術館友の会」は中島公園内の彫刻についても、調査と清掃を行って来た。その中で「木下成太郎像」が約70年前に建立され、作者は当時の日本を代表する彫刻家朝倉文夫で美術史的にも郷土史的にも重要な芸術文化遺産であることが判明した。
この木下成太郎像を中心にシンポジウム2010「北の彫刻」を開催した。
10月17日シンポジュウム「北の彫刻」パークホテルで開催
中島公園近所の住民としてHP「中島パフェ」を運営して9年目となった。その間、中島公園ではいろいろなことがあったが、全国規模で話題になるような文化財の発見は今回が初めてである。
「野外彫刻を大切にしよう」を合言葉に、彫刻ファンと中島公園近所の住民が協力して、野外彫刻清掃を始めたのは2008年6月だった。
心を込めて清掃をするには、彫刻についての知識も必要ということで清掃と合わせて彫刻の調査も行った。そのことが「木下成太郎像」再認識につながったものと思う。
豊平館、八窓庵に次ぐ、中島公園のお宝発見!
幸い中島公園の近所に「札幌彫刻美術館友の会(友の会)」会長が住んでおられた。会長の調査活動の中で「木下成太郎像」が極めて貴重な彫刻であることが判明した。
まさに「お宝発見」の感であった。このようなこともあって門外漢の私も、野外彫刻に興味を抱くようになり、調査・清掃活動に参加するようになった。
再び陽の目に当たる「木下成太郎像」
皆で一生懸命磨いた木下成太郎像が、お宝だったとは新鮮な驚きだった。長い間、林の中で寂しそうにしていたのに、にわかに光を当てられたように感じ、近所の住民として嬉しく思い、誇りに思うようになった。
「木下成太郎像」は、70年前に華やかに建立されて、終戦を堺に、その存在を忘れられていたかのようだった。これは偶然とは思えない。
なぜならば、像建立の発起人には近衛文麿首相等、当時の有力者の名が連ねられている。終戦後、中島公園にも米軍が進駐して来た。見つかれば破壊される恐れもあったと思う。
像を守る為、皆で知らんぷりしたのではないだろうか。それが、シンポジウムをきっかけに表舞台に再登場しようとしている。まさに、歴史と芸術の中島公園に相応しい話題ではないか。
シンポジウム2010「北の彫刻」を画像で紹介
2010年10月17日に「シンポジュウム2010北の彫刻」が、札幌パークホテル地下パークプラザで開催された。シンポジウムの様子を画像で紹介する。
画像提供は、「JTBコミュニケーションズ北海道」の 橋本さん。
会場は天皇皇后両陛下も宿泊されたことのある札幌パークホテル。大きな会場に沢山の方々が、参加してくれた。 200名を超えたと思う。中島公園の木下成太郎像の為に来て頂いたと思うと胸がいっぱいになる。このブロンズ像は長い間、人知れず林の中で寂しい思いをしてきたのである。
基調講演は、武蔵野美術大学造形学部彫刻学科教授の黒川弘毅教授。屋外に設置されたブロンズ彫刻の保存についての講演であった。
ブロンズ像は放っておいても年月を重ねながら美しくなるというのは、昔の話。 大気汚染の激しい現在においては、水洗い、ワックスがけなどのメインテナンスは必須。先生の話のほんの一部だが、私はこう理解した。
私たちの清掃法は正しいのだと思い、ホッと胸をなでおろした。専門家からお墨付きをもらった気持ちだ。彫刻清掃ボランティアにとっては嬉しい講演であった。
黒川教授と3人のパネラーの先生方。
シンポジュウムの一日を4枚の画像で紹介
10月17日10時、「木下成太郎像」清掃後、像を調査する黒川先生と橋本会長12時、札幌パークホテル会場では、シンポジウム受付準備完了。
13時、講演開始、プロジェクターも2台。 16時、木下成太郎像、見学と解説。
9月中に準備をした シンポジウムPRの記事
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中島公園菖蒲池の東側の林にあるブロンズ像が、美術史的にも郷土史上でも重要な芸術文化遺産であることが判明した。
3年前から、「札幌彫刻美術館友の会」と周辺住民や働く人たちのボランティアによる、野外彫刻清掃と調査が行われていた。その過程でブロンズ像が重要な文化遺産であることが判明したのである。
10月17日午後1時~4時、札幌パークホテルで「シンポジウム2010北の彫刻」が開催。
主催:札幌彫刻美術館友の会
共催:武蔵野美術大学、大東文化大学
後援:観光情報学会、北海道芸術学会、札幌市、他
協賛:札幌パークホテル、ノボテル札幌、キタホテル他
中島公園近所の住民ですが、シンポジウムに期待しています
中島公園近所の住民です。3年前の「札幌まつり」の後、野外彫刻が悪質な悪戯に遭いました。転がされたり、目に花火を入れて焼かれたりしたのです。
気がついてみれば彫刻は、鳥の糞などで汚れたまま放置されていました。野外彫刻が粗末に扱われていたことが、悪戯を誘発したのではないでしょうか。
そんな折、彫刻美術館友の会会長が「中島公園の彫刻をきれいにしよう!」と声をかけて下さいました。それ以来、彫刻清掃のお手伝いをしています。
意外な事実を知り二度驚く、10月17日のシンポジウムに期待!
あれから3年たちました。
林の中にひっそりと、寂しそうに建っている銅像が、東洋のロダンと称された朝倉文夫の作品と聞いて驚いています。
しかも、朝倉作品は、戦時中の金属回収令で大部分が供出させられました。
400点余りのほとんどが潰されて大砲などの兵器にされてしまったと聞いています。
「木下成太郎像」のように、立派な基壇・台座と共に残っているのは、中島公園だけではないかと聞きました。
これが、2度目の驚きとなりました。
3度目のビックリは、
「シンポジウム2010北の彫刻」の中から出でくるのではないかと、期待しています。10月17日を心待ちしています。
(HP「中島パフェ」管理人 nakapa)
木下成太郎像関連「シンポジュウム2010北の彫刻」
中島公園に設置されている朝倉文夫のブロンズ木下成太郎像」を巡る、
<<シンポジウム2010【北の彫刻】>>が開催されます。
2010年(平成22年)10月17日(日) 午後1時~4時
札幌パークホテル 地下1階 パークプラザ 入場無料
当日午後、中島公園菖蒲池東側に設置されている「木下成太郎像」の鑑賞会を行います。詳細は「シンポジュウム2010北の彫刻」会場でご案内します。
シンポジュウム2010北の彫刻の内容概略
国際的に旺盛な創作活動を展開している彫刻家黒川弘毅氏の基調演説を中心としたシンポジウムです。
基調講演:黒川弘毅 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科教授
「屋外に設置されたブロンズ彫刻の保存について」
パネラー:
亀谷隆 北海学園大学非常勤講師 武蔵野美術大学校友会北海道支部長
「木下成太郎の事跡」
坂井文 北海道大学大学院工学研究科准教授 「都市と野外彫刻」
総合討論
コーデネーター:高橋淑子 札幌彫刻美術館友の会会員 アートナビゲーター
「朝倉文夫の芸術」
主催、共催
主催:札幌彫刻美術館友の会、共催:武蔵野美術大学、大東文化大学
彫刻清掃運動から「シンポジウム北の彫刻」へ広がる人の輪
彫刻清掃は当初、「友の会」会員、近所の住民など年配の方々が主力メンバーでした。3回目からは近隣ホテルの方々がボランティアとして参加され、かなり若返りました。
5回目からは、公園管理事務所はじめ、公園関係者も加わり、いろいろ助けられました。参加者層にも広がりが出来て、皆で協力して行う彫刻清掃に進化しつつあります。
9月5日の第6回彫刻清掃には、未来を担う大勢の小学生が加わりました。文字通り老若男女が参加する、幅広い清掃運動へと脱皮したような気がします。
今回は、初めて外国人が参加してくれました。アメリカ国籍のCAさんがです。人の輪が次第に広がって行くのが楽しみです。
画像提供:CAさん
3年前、一部の人たちが始めた清掃運動が、徐々に広がりをみせ、今では幅広い人々に参加してもらえる清掃運動へと発展しています。
この延長線上に「シンポジウム2010北の彫刻」の開催があるのではないでしょうか。10月17日は大勢の参加者があることを期待しています。
上の画像は中島公園、近所の住民CAさんの提供です。9月5日、山内壮夫「母と子の像」を清掃している様子です。大人も子供も、若者も外国人も一緒に、楽しい雰囲気で清掃できました。
銅像は戦災を免れた(2010年8月4日北海道新聞「朝の食卓」)
「中島パフェ」管理人は2009年1月~2010年12月まで道新コラム「朝の食卓」
を執筆していました。その時書いたコラムのコピーです。
本文は以下の通りです。
中島公園の変遷は札幌の歴史そのものなので、ときには意外な発見もある。「木下成太郎像」も、その一つだ。菖蒲池東側のひっそりとした林の中に鎮座するブロンズ像が、日本美術史上極めて貴重な作品とは夢にも思わなかった。
およそ3年前、その像が、日本を代表する彫刻家朝倉文夫(1883年~1964年)の作品と聞いたときはビックリした。基壇は傷み、石と石のすき間から雑草がボウボウ生えたまま放置されていたからだ。
日本だけで310万人もの犠牲者を出した第二次世界大戦が終結して65年たつ。日本は戦争で人だけでなく、多くの美術品をも犠牲にしたが、日本美術界の重鎮であった朝倉のブロンズ像400点余も、戦時中の金属供出のためにつぶされた。そして大砲などにされ、そのほとんどが失われた。
この様な状況の中で、朝倉の作品が台座と基壇と共に、残されたことは、奇跡と言ってもよいと思う。
3年前から「札幌彫刻美術館友の会(橋本信夫会長)」の呼びかけで中島公園の野外彫刻清掃運動が始まり、老若男女が参加する幅広い市民運動へと発展して行った。
去年の秋、札幌市がこのブロンズ像の基壇等を補修、整備した。基壇のすき間はなくなり、見えにくい文字も鮮明になった。市民の地道な活動が市当局を動かしたのだろうか。
(HP中島パフェ運営・札幌)