2011年より鴨々川清掃と野外彫刻清掃が同じ日に実施することになった。第一回の共同清掃報告と、ここに至るまでの経過を纏めてみた。
2011年6月5日 鴨々川と野外彫刻清掃が初の統一開催。
2011年より「鴨々川を清流にする会」の清掃運動と「札幌彫刻美術館友の会」の野外彫刻清掃を一緒に行うことになった。6月5日は中島公園を綺麗にしようと言う二つの思いが一つになった記念すべき日である。
第20回クリーン鴨々川清掃運動に参加して(報告)
2011年6月5日、「第20回クリーン鴨々川清掃運動」が行われた。
鴨々川清掃と中島公園野外彫刻清掃を一緒に実施
今回は鴨々川と共に、中島公園内の彫刻モニュメント清掃も同時に行われた。初めて「鴨々川を清流にする会」が主催するクリーン鴨々川清掃運動に、「札幌彫刻美術館友の会」として参加した。 従来別々に開いていたが合同して開催することになったのである。 中島公園をキレイにしようという思いの輪が次第に広がって行くような気がして嬉しい。
事前に参加者募集をしているが、当日申込みもOK
予めFAXで参加申込みを受け付けていたが、当日も9時から直接会場で受け付けていた。 誰もが参加しやすい柔軟な対応だと思う。
そのせいかクリーン鴨々川には、いつも多くのボランティアが参加する。 9時30分開会式、ラジオ体操などをして9時50分作業開始だ。
開会式等は九条広場(中島児童会館前)で行われ、ラジオ体操の後、鴨々川清掃組と野外彫刻清掃組に別れ、それぞれの作業を開始した。 私は「札幌彫刻美術館友の会」が担当する彫刻清掃に参加した。
鴨々川清掃と野外彫刻清掃と手分けして実施
彫刻清掃組は、彫刻「森の歌」の前に集まって、彫刻清掃法の説明を受けた。 彫刻は美術品なので瑕をつけないように作業する必要がある。それに作業中に怪我人を出さないことが大前提である。
彫刻清掃前に主な彫刻の解説を聞いた。これは山内壮夫作の「猫とハーモニカ」。ギリシャ神話の「牧神パンの笛」ではないかと言われている。
本日の清掃対象は、朝倉文夫作の「木下成太郎像」。彫刻解説の後、作業に入る。先ずは水洗いから。
ブロンズ像なのでワックスで仕上げる。
乾拭きして彫刻清掃終了。
参加の皆様お疲れ様。奇麗になった「木下成太郎像」を観て清清しい気分だ。 楽しい野外彫刻清掃作業だった。
中島公園を良好な状態に維持して次世代に引き継ごう!
解説を聴いて野外彫刻についての理解を深めた。野外彫刻を大切にしようという思いを新たにした。そして鴨々川を清流にし、中島公園を良好な状態に維持して次世代に引き継ぐこと。これが現在生きている私たちに、課せられた使命かも知れない。
「クリーン鴨々川清掃運動」に統合されるまでの経過
「鴨々川を清流にする会」による鴨々川清掃は、今年で10年目となる。当初は大変に苦労されたと聞いているが、その成果か、鴨々川は次第にキレイになりゴミの量も減ってきている。
一方、「札幌彫刻美術館友の会」による中島公園野外彫刻清掃は、「野外彫刻悪戯事件」をきっかけに、2008年から行われている。次の様な経緯で、野外彫刻清掃は始まった。2007年「札幌まつり」最終日6月16日の夜、山内壮夫の彫刻「母と子の像」が押し倒された。
このセメント像は高さも115cmあり、相当重い。元の台座に納めるのにクレーンを使用したほどだ。その後、更に悪戯が繰り返された。 今度は目の窪みに花火を差し込まれ火を付けられた。悪質な悪戯は「笛を吹く少女」にも及んだ。
この事件をきっかけに付近の住民と彫刻ファンによるボランティア団体「中島公園モニュメント研究会」が発足した。野外彫刻が、鳥の糞などで汚れていることも、悪戯を誘発した要因と考え、中島公園内の彫刻を定期的に清掃することにした。
「中島公園モニュメント研究会」は前述の「札幌彫刻美術館友の会」と、親子の関係にあり明確に区別はできない。中島公園に関する活動に限定すれば、この二つの会は同じと考えてもいいと思う。
「中島公園モニュメント研究会」発足から3年、野外彫刻清掃も6回を数えた。
一方、以前から活動している「クリーン鴨々川清掃運動」は、20回目の節目を迎えようとしていた。
2011年6月5日、鴨々川清掃と中島公園野外彫刻清掃を一緒に行うことになった。 そして、プログラムの作業内容に「中島公園内の彫刻モニュメントの清掃」が加えられた。
こうして、2011年6月「第20回クリーン鴨々川清掃運動」と「第7回中島公園野外彫刻清掃」同時開催の運びとなり、以後継続されることとなる。
「木下成太郎像」の清掃をする彫刻組。 第1回鴨々川・野外彫刻合同清掃。
今までの中島公園野外彫刻清掃活動のまとめ
2007年の12月、付近の住民と彫刻ファンによるボランティア団体「中島公園モニュメント研究会」が発足。野外彫刻の調査、清掃活動を行うことにした。
2008年2月、FMラジオカロス・サッポロの地域番組「山鼻、あしたもいい天気!」に、「札幌彫刻美術館友の会」橋本会長が出演。中島公園の彫刻を大切にしよう、キレイにしようとラジオで呼びかけた。
2007年7月~2008年3月、「山鼻、あしたもいい天気!」放送委員会の協力で、毎木曜夜8時台のCM時間帯に、次の意見広告を流してもらった。
「中島公園の野外彫刻を綺麗にしよう。 札幌祭り最後の夜、山内壮夫の名作『母と子の像』が無残にも押し倒された。 更に 母と子の4つの目を真っ黒にされた。 こんな悪戯は絶対にやめよう! 野外彫刻を大切にしよう。 中島公園を綺麗にしよう」
「山鼻あしたもいい天気」放送中のラジオカロス・サッポロ,スタジオ。
2008年6月の第1回野外彫刻清掃から、2010年9月の第6回までを、ここに纏め一つの区切りとしたいと思う。過去の整理が新たな発展に繋がるものと考える。2011年6月から新たに、鴨々川・中島公園野外彫刻共同清掃が始まっている。 これが新たなるステージへの第一歩となるものと期待している。
第1回中島公園野外彫刻清掃 2008年6月29日
半月以上の準備を重ね、ついに実現した中島公園初の野外彫刻清掃。「札幌彫刻美術館友の会(友の会)」がお膳立てしてくれた。
この時点では、主力は「友の会」会員。近所の住民は勉強とお手伝いの立場である。地元のラジオ番組「山鼻、あしたもいい天気!」のパーソナリティーも、仲間たちと一緒に参加してくれた。
管理人nakapaのコメント(上の画像は山鼻の橋本さん提供)
初めてのボランティア活動で、年甲斐もなく気分が高揚。次の報告を読み返すと、とても恥ずかしい。しかし、これも中島公園史の1ページ。修正なしで残すことにした。報告全文を読む → 第1回中島公園野外彫刻清掃
第2回中島公園野外彫刻清掃 2008年9月28日
幸い好天に恵まれ各自雑巾やデッキブラシ・たわしなど清掃用具片手に、良い汗を流した。この活動は橋本先生を中心に、自然と文化を守るため札幌彫刻美術館友の会会員と有志により継続的に行われている。
先ずは集合場所にある”森の歌”像から……。
モニュメントの概要や彫刻が出来た経緯・清掃の方法など説明を受けた後、活動スタート。7メートルの高さがある巨大な大木の様な彫刻は、巨大さに圧倒される。(ブログ「おふさの日常あれこれ」より抜粋)
(オリジナル画像提供「札幌彫刻美術館友の会」細川さん)
nakapaのコメント
この清掃には他に予定があって参加できなかった。参加者の話によると、とてもハードな苦労の多い彫刻清掃だったそうだ。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と言われているが、私はまったく若くない。ホッとしていても許されるかも知れない?
参加の皆様お疲れ様でした。不参加を心からお詫び申し上げます。
全文を読む → 第2回中島公園野外彫刻清掃
詳細はこちらのブログ → 中島公園野外彫刻清掃
第3回中島公園野外彫刻清掃 2009年6月20日
6月20日午前、木下成太郎像と、芝生の広場に設置されている山内壮夫作品、4点の清掃をした。今回は3回目だが、近隣のホテルから若い方々がボランティアとして加わってくれて、とても助かった。
そして、清掃だけでなく、野外彫刻データベース構築のためのデータ収集もした。各彫刻の縦横幅を計測して記録しデータベース化する計画と聞いている。
nakapaのコメント(上の画像は「木下成太郎像」の清掃)
思わぬ副産物があった。今回からノボテル札幌の方々もボランティアとして参加してくれた。約半月後、ノボテル札幌で美味しい「中島パフェ」を作ってくれることになったのだ。詳細はこちら→ 美味しいパフェ「中島パフェ」
HPタイトルは「中島公園パーフェクトガイド」、略して「中島パフェ」としたが、よくグルメのサイトと間違えられる。いっそうのこと、近所のホテルか喫茶で「中島パフェ」という名の美味しいパフェを作ってもらえないかなと思っていた。
ところが、実現してしまった。この喜びを北海道新聞コラム「朝の食卓」書かせてもらった。道新コラムを読む → パフェができた!
第4回中島公園野外彫刻清掃 2009年9月26日
彫刻清掃参加者の幅も徐々に広がって来ている。中島公園近隣の人、美術を愛する人など約30人が参加。そのうち半数近くはノボテル札幌、札幌パークホテル、北ホテルからのボランティア参加だった。
今回は「のびゆく子等」の作者、小野健寿氏の彫刻についての説明もあり、清掃を超えた、街中の美を守る啓蒙運動の側面も感じられた。
「のびゆく子等」の作者、小野健寿氏が彫刻について解説された。
nakapa
中島公園には早朝にゴミ拾いしたりする、個人ボランティアも少なくない。人知れず、ひっそりと清掃する心は尊いと思う。私たちは「中島公園をキレイにしよう」と思う人々の輪を広げて行きたいと思っている。
今回は実際に中島公園にある彫刻を作った作家から、彫刻についての説明を受けた。作家は「友愛の心で命の喜びを表現した」と語ってくれた。彫刻の清掃から始まり、調査・データ収集、作家コメントへと運動の幅も広がり、街中の美を守る運動へと近づいて来たような気がする。
第5回中島公園野外彫刻清掃 2010年6月20日
暑い中31名が参加して、中島公園内の彫刻清掃に汗を流した。今回は、中島公園管理事務所の協力を得ることが出来た。そして近隣ホテル、大学生、公園内諸施設の職員等、幅広い方々がボランティアとして参加してくれた。
「札幌彫刻美術館友の会」が中心になって始めた彫刻清掃だが、回を重ねるにつれて、幅広い方々が参加するようになった。
「四翁表功之碑」の清掃。今回より中島公園管理事務所が協力。
nakapaのコメント
今年の4月、公園の管理者が変わり、新しい中島公園管理事務所は、「札幌彫刻美術館友の会」の彫刻清掃にも理解があり、協力的で助かる。中島公園内施設の方々もボランティアとして、手伝いに来てくれるようになり、清掃運動の輪は更に広がりを見せてくれている。
第6回中島公園野外彫刻清掃 2010年9月5日
野外彫刻清掃も6回目となり、ボランティア参加者も回を重ねるごとに幅広い人たちの集まりとなった。今回の特徴は、母と子の参加が多かったこと。それに、初めて外国人が参加してくれたこと。英語の中島公園ウェブサイトを開設しているCAさんが、取材を兼ねて参加してくれた。
後列左から2番目がCAさん。「CAトヨンデクダサイ」と言ってくれた。
nakapaのコメント
これが野外彫刻を単独で清掃する最後かも知れない。次回は「クリーン鴨々川清掃運動」と合同で実施する。最後を飾るに相応しい野外彫刻清掃運動となった。次世代を担う子供達が参加する意義は大きい。
将来に望みを託すことが出来る。そして、初めて外国人が参加してくれて、とても嬉しい。英語はCAさん、日本語は私。それぞれの言語で中島公園を紹介できるメリットは大きいと思う。
第7回野外彫刻清掃からは鴨々川清掃と一緒
第7回野外彫刻清掃からは鴨々川清掃と一緒に行うことになった。 これからは、中島公園をキレイにしようという共通の目的を持って共に運動を進めて行くことになる。
中島公園におけるボランティア活動にとって大きな前進である。 皆で協力して中島公園を良好な状態に維持して、次世代に引き継ぐことができるのではないかと期待している。