この風景に見覚えがあるだろうか? 今はない大きなポプラ。2006年8月21日に危険木として伐採されたのだ。もう見られない(寂)。
今はない この木何の木 ランドマークの木?
札幌コンサートホール前にあった巨大ポプラ。2006年8月10日撮影
「キタラ前の名物ポプラが危険木として伐採されました」
「コンサートには何回も行ったが、ポプラには気づかなかったな」
「皆さんの無関心がこの木を倒したのです!」
「危険木なんだろう。突然倒れたら危ないじゃないか」
「2004年の猛烈な台風18号でもびくともしない。倒れるもんですか」
「ポプラは風に弱い。あの台風でもバタバタ倒れたぞ」
シンボル的な大木がなくなり空だけが虚しく広がる。2012年10月12日
「大きなポプラがなくなって寂しくなりましたね」
「ポプラの下敷きになる心配もない。俺は嬉しいサッパリしたよ」
「景観に関して、大木が果たす役割の大きさを感じます」
「重さも感じるねぇ。危険木があったら怖くて歩けないよ」
「実は、この木の役割は景観だけではないのです」
「そうかい」
百花園のあった1970年代の写真。札幌市文化資料室所蔵
「右上に直立したポプラが見えますね」
「なるほど。あの木の後ろにキタラが建ったんだな」
「あのポプラのお陰で、今はなき百花園の位置を推測できるのです」
「つまり、目印として役立っているのだな」
「そのとおり! ランドマークとしても重要なポプラでした」
百花園の跡地。中島公園ほぼ中央の「香の広場」。2004年4月8日撮影
「藻岩山とキタラ前のポプラを見れば百花園だったことが分かります」
「ビルが邪魔だな。藻岩山が見えなくなってしまうぞ」
「心配ですね。藻岩山の景観があってこその中島公園です」
キタラ前のポプラが伐採された後の「香の広場」。2011年7月11日
「木が生い茂っていても、キタラが見えるから便利じゃないか」
「全ての園路はキタラに通じています。迷うことなどありません」
「寄り道もしたいし、近道もしたいぞ」
「それではポプラの跡地に目印を建てましょう」
「新しいランドマークか。ポプラと同じ高さがいいな」
「ここに中島公園のシンボル的なポプラがあったと書くのです」
中島公園の歴史は札幌の歴史そのものと思う。例えば、このポプラにしても時代とともに周囲は変化してきた。最初は明治・大正時代の岡田花園、次に昭和初期の初代「子供の国」、新設された「子供の国」、そして現在の札幌コンサートホール・キタラ。
周囲が変化しても、ポプラは同じ位置に立っていた。そして、2006年8月21日に危険木として伐採された。大きなポプラとともに歴史上のランドマークを失ってしまったのだ。
古い写真を見ても、この木があることにより現在の場所か分かる。しかし、なくしたら目印を失い分からなくなってしまう。代替物が必要と思う。
2006年8月21日 危険木としてキタラ前のポプラ伐採
2006年11月5日、「中島パフェ」掲示板に投稿があった。
「……以前キタラ前広場の南にあった大きなポプラはいつ、どうして伐採されたんでしょうか。大好きな樹だっただけになくなってしまって残念でなりません」
私も残念でならないが、危険木として8月21日に伐採された。木に縛り付けられた「お知らせ」に次のように書いてあった。「この木は倒木の恐れのある危険木であるため、8月21日に伐採いたします」
実に堂々としたポプラだ。しかもランドマークの役目も果たしていた。古い写真を見るとき興味をそそるのは「ここが現在のどこ?」という疑問。それほど、中島公園は変遷を重ねて来ていたのだ。大切な緑とともに、場所特定の決め手となる目印を失ってしまった。
伐採作業は大型クレーンや高所作業車を要する大掛かりなものだった。
枝が切り落とされ最後は根元から切られた。巨大ポプラの見納め。
根元のほうも何となく傷んでいる感じだが、どうなんだろう?
これは大きな空洞! 中を見れば何時倒れるか分からない感じがする。
大きなポプラがある風景は二度と見られない。理屈は分かるが寂しい。