JR札幌駅から鴨々川まで約2Kmの駅前通を南に歩いてみよう。新しい街から古い街へと、札幌の歴史を遡る小さな旅のように感じるだろう。鴨々川から中島公園にかけては
2019年9月14日・15日 鴨々川ノスタルジア
すすきのの寺院中心に開催、中島公園では日本庭園で鴨ノス茶会開催。国指定重要文化財八窓庵に付設する三分庵で茶会と四阿(あずまや)前で野点が開かれた。茶会は事前予約が必要、料金500円。
この池には11羽の子を連れたオシドリの親子が来たことがある。
野点の料金は抹茶・菓子付きで300円。
八窓庵(画像右)に付設する三分庵(左)で鴨ノス茶会。
2019年1月下旬 薄野に来い、サギ、オシドリがいるかも
薄野は歓楽街だけではない。寺町であり、鴨々川沿いにヤナギ並木もある風情のある街でもある。種々の動物が人の目を楽しませてくれる。
駅前通の南8条に架かる藻山橋の上流にあたる橋下にオシドリ(雄)、マガモ(雌雄)、そして沢山のコイが見られた。1月27日撮影
その翌日、上と同じ場所にサギが飛来した。1月28日撮影
上流の橋から駅前通に架かる藻山橋を見る。1月22日撮影
流量によっては鴨々川は表面が凍結することもある。1月18日撮影
関連情報はこちら→ すすきのにコイ、カモがいる オシドリ、サギも
2018年10・11月 延期の鴨々川ノスタルジア一部開催
地震翌日の7日から3日間の予定だったが、「芸者衆の踊りを見る会」「着物ファッションショー」などを10月13日~11月12日の土日祝日を中心に、新善光寺など3会場で行うことにした。
(9月28日北海道新聞抜粋)
2018年9月7日~9日「鴨々川ノスタルジア」全日程延期
9月7日より3日間予定された鴨々川ノスタルジアのイベントについては全日程を延期。新日程は改めて通知される。中島公園関連では8・9日の日本庭園における野点と「八窓庵」付設する「三分庵」での茶会は中止される。
2017年10月3日 鴨々川沿いヤナギ並木の現状
放置されている場所も多い。詳細→鴨々川沿いヤナギ並木の現状
2017年9月1日~3日 第4回鴨々川ノスタルジア開催
中島公園では日本庭園内で茶会、東本願寺では「職人村」(以上、土日のみ)、新善光寺では札幌芸者衆の踊りを見る会、寄席等。
詳細はこちら → 鴨々川ノスタルジア公式ページ
2017.9.2撮影、中島公園日本庭園の野点。白いテントが受付、茶券は300円、定員80名。なお、三分庵(八窓庵隣接)での鴨ノス茶会の茶券は予約制で既に完売。詳細はこちら → 2017鴨々川ノスタルジア
2017年9月1日 鴨々川ノスタルジアで「Bocket4号」発刊
管理人の寄稿記事概略→すすきの生まれの子鴨たち(Bocket4号)
2017年7月7日の鴨々川水遊び場
1975年に冒険広場的要素を持って華々しく開設された鴨々川遊び場。その後ターザンロープ等冒険的設備は全て撤去。42年後の現在は静かな水辺。一部の設備は残されている。2017年夏の姿→鴨々川遊び場
2016年9月30日~10月2日 第3回鴨々川ノスタルジア
9月30日(金)~10月2日(日)鴨々川ノスタルジア開催。日本庭園、新善光寺、東本願寺で多彩なイベント。ホテル等で「中島パフェ」発売。
日本庭園で開かれるイベント
鴨ノス茶会(予約が必要、有料500円)
国指定重要文化財八窓庵に付設する三分庵(画像)で開催
開催日時 10月1日(土)・2日(日)、雨天開催
10:時、11時、12時、13:時、14時より、それぞれ40分間。
野点(当日受付・有料300円、茶券は当日、現地受付で販売)
開催場所は日本庭園(雨天時は、札幌パークホテル・エントランス開催)
開催日時 10月1日(土)・2日(日)10時~15時、定員:1日80名
昔あそびラリー(スタンプラリー、無料、雨天中止)
開催日時 10月1日(土)12時〜15時、完成者先着100名に記念品
日本庭園であそぼう(こども限定、要予約300円)
開催日時 10月2日(日)13時〜15時、お汁粉、保険料含む、定員20名
2016年8月~10月 中島公園・すすきの、名所を巡るガイドツアー
内容は中島公園・すすきの各ガイドツアーを半日程度。
2016年8月15日 護国神社近くの鴨々川で灯籠流し
毎年恒例の様子 → 灯籠流し ~札幌市中島公園鴨々川~
最新情報は中島公園新着情報をクリック → 雨の灯籠流し
2016年5月5日 サクラ咲く鴨々川沿いの道
地下鉄幌平橋駅近くの行啓通。画像右は鴨々川水遊び場。
すすきのにある藻山橋(南8西4)から鴨々川上流を望む。
2015年10月2日(金)~4日(日)鴨々川ノスタルジア
新善光寺、東本願寺の2カ所で実施、中島公園は無し。 なりわい村(日本庭園)は3・4日12時~16時30分は天候不安定な為、東本願寺札幌別院に変更。
日本庭園南門に掲示された鴨々川ノスタルジアの案内板。
10月3・4日なりわい村は東本願寺に変更、下の記事無効
なりわい村(日本庭園)は3・4日12時~16時30分
中島公園では日本庭園が「なりわい村」となる。
会場は中島公園内日本庭園、新善光寺、東本願寺
2015年9月28日 鴨々川界隈の雑誌「ぼけっと」2号に執筆
鴨々川ノスタルジア公式ムック「Bocket2」に記事を執筆。テーマは数年前から関係者の注目を浴びている「木下成太郎像」。中島公園に於ける野外彫刻悪戯事件から「シンポジウム野外彫刻を創る・守る」開催までに至る経緯を記した。
1941年当時、東洋のロダンと言われていた朝倉文夫の作品も、戦時中の金属供出で殆どが潰されて兵器にされた。その様な状況下で奇跡的に生き残った作品が、中島公園に存在する「木下成太郎像」である。国指定重要文化財の豊平館及び八窓庵に次ぐ、第三のお宝になるかもしれない。このような期待を込めて書いてみた。札幌市内の書店で販売中税込千円。
2015年7月11日 スイーツ「中島パフェ」再登場!
テラスレストランKitaraで7月28日撮影。華々しくも鴨々川ノスタルジアの公式スイーツとしてよみがえった。
「札幌まつり」の鴨々川 2015年6月14~16日撮影
南9条橋を通過する「札幌まつり」の山車。橋の向こうは中島公園。
中洲橋で鴨々川本流から分かれ菖蒲池に注ぐ分流。
鴨々川分流近くにに居たマガモの親子。流れの先は菖蒲池。
お祭りの雑踏を離れて一休み。後ろの露店は幌平橋駅まで並ぶ。
2015年6月14日札幌まつり、露店と南14条橋下流の鴨々川。
鴨々川は冬の鴨(主にマガモ)の移動先 2015年2月撮影
菖蒲池に居た鴨は冬になって池が凍結すると水場を求めて近くを流れる鴨々川に行く。水のあるところなら何処でもいいのだが、一番多く見られるのは地下鉄幌平橋駅裏を流れる鴨々川である。
画像の右上、茶色の建物が地下鉄幌平橋駅エレベーター出入口。
川の部分を拡大。ここに写っている鴨は全部マガモ。
冬は餌不足なので人の姿を見ると川から上がって寄って来る。
鴨々川ノスタルジア開催! 2014年10月17・18・19日
日本庭園は、鴨々川ノスタルジアの三日間は「なりわい村」となる。画像の左は野菜・豆売り、右は南京玉すだれ。背景は庭園の池。初日は雨模様だったが、土日は天候に恵まれ盛況だった。上の画像は最終日:10月19日撮影。
詳細はこちら → 10月17~19日、鴨々川ノスタルジア(中島公園)
中島・薄野界隈の豊平川分流の中で唯一残された鴨々川。札幌で最も大切な歴史的資産ではないだろうか。そこで開かれる鴨々川ノスタルジアは金曜から日曜まで。
中島公園内・日本庭園「なりわい村」では昭和の「なりわい」を再現。開村式 10月17日(金)12時から。以後、金土日の三日間、12時~16時の開催。
易者 、竹細工 、箸づくり 、野菜、豆売り 、茶心会/茶心弦 芳易氏 、慶書 、薩摩琵琶演奏 、南京玉すだれ 、自転車の紙芝居 、鼻笛演奏 、大正琴演奏
、腹話術等。一部有料。
こちらが「鴨々川ノスタルジア」の全体像。↑画像クリック=拡大
イベントの実行委員長はgallery鴨々堂の石川さん。「鴨々堂」は古民家を改造したもので、石川さんは一級古民家鑑定士で鴨々堂店主。
動画→ 「 鴨々川ノスタルジア×石川圭子 」特別インタビュー
「Bocket」ぼけっと創刊 特集は鴨々川ノスタルジア
『Bocket』はすすきの・鴨々川界隈をぼけっと愉しむための年刊誌。ひらがなで『ぼけっと』。そこに「鴨々川ノスタルジア」の内容が詳しく掲載。管理人が書いた「中島公園の栄・枯・盛・衰」も載せて頂いた。
現在の鴨々川
6月中旬の中島公園は「札幌まつり」で大混雑。混雑を避けて憩いのひとときを鴨々川のほとりで楽しむ人々。川は人をリラックスさせてくれる。
1975年に地下鉄幌平橋近くに造られた「鴨々川遊び場」は冒険広場的だった。手前は行啓通。白い柵の向こうに遊び場、庭球場と続き、遥か彼方に藻岩山が見える。今は水と緑を楽しむ静かな空間となっている。
同じ場所を比較してもらう為昔の画像を1枚挿入。画像の中央やや右側に中州橋が見える。左岸の建物はマンションに建て替えられた。
塀の向こうで2014年6月よりマンション建設中。この辺りも変わるだろう。完成後も何とか自然を生かすような配慮をしてくれることを期待している。
上2枚の画像はマンションが建つ前の姿。この辺りは昔、お屋敷町と言われていたが、上の画像が最後の個人邸宅で来年には全てマンションとなる。(2014年10月12日に記す)
昔の鴨々川 これな~に?
2003年5月3日の撮影、これは何? もちろん今は無いオブジェ。鐘?
鴨々川遊び場の川辺に何かの階段がある。展望台でもなさそうだ。これは何だろうと思っていたら滑り台の階段だった。2002年には滑り台部分は撤去されている。古い写真を整理したら出てきた。2001年10月14日撮影
鴨々川沿いの柳並木の存続が危うい?
歴史と自然を感じさせる曲線とヤナギ並木。古の風情漂う鴨々川。
ヤナギは2002年10月2日の台風第21号、2004年9月8日の台風第18号等で次第に数を減らし、最早ヤナギ並木とはいえない状態になっている。
詳細は、こちらをくっリック! → 失われた景観 ~鴨々川ヤナギ並木~
危うい鴨々川のヤナギ並木の現状→詩情を誘うに十分なヤナギ並木が
鴨々川は歴史的資産
中島公園を案内しているとき、「どこか一番好きですか?」と聞かれ、迷わず鴨々川と答えた。好きというよりも絶対に残さなければならない自然。数ある豊平川分流の中で唯一残された鴨々川。札幌で最も大切な歴史的資産と思う。
先ず、現在の春夏秋冬の風景を紹介。周辺のヤナギ、ポプラ等の倒木も多いいが、それなりに緑が快復し風情ある風景が残されている。これ以上都市化の波にさらされることなく、水と緑を積極的に維持する方策が大切と思う。
春の鴨々川は桜と緑
2002.4.25 幌平橋駅から護国神社参道あたりが自然に近い形で残されている。街中に残されている数少ない自然。川の流れが過去から未来へと永久に続くことを願う。なぜなら、鴨々川がこの辺りで残された唯一の川だから…。
2005.5.2 左(上流)に南14条橋、下流に白鶴橋。背景に藻岩山が見える。この辺りでは近くの住民が毎朝集まってラジオ体操をしている。
2013.5.30 雪融けや大雨で豊平川の水が濁れば鴨々川も濁る。札幌は豊平川扇状地に開けた街。茶色い川から札幌の歴史に思いを馳せる。
初夏の「札幌まつり」、薄野の鯉、夏は紫陽花咲く鴨々川
2011.6.15 「札幌まつり」の混雑を避けて鴨々川で憩う人々。
2006.8.3 薄野にある鯉の放流場。南8条西4丁目の藻山橋上流。
ほぼ同じ水域を拡大した画像。南八条橋から園生橋までの約250mが鯉の放流場。以前は冬になると養鯉場に預けたが現在はここで越冬する。
2014.7.24 紫陽花咲く中州橋付近は流れも早くせせらぎの音が心地よい。少し上流で川底に埋められた導水菅からの水と合流して水量を増す。
秋には鴨々川沿いも美しく紅葉
2004.11.2 南14条橋下流、流れの向こうに白鶴橋が微かに見える。
2006.11.1 福山邸裏。邸宅は解体して2014年6月からマンション建設へ。
2013.10.26 行啓通には信号待ちの車列。少し離れれば豊かな自然。
鴨々川は冬の鴨(主にマガモ)が生きる場所
2002.12.31 上の画像とほぼ同じ場所。2006年ごろ川底に導水菅を敷設する工事があり、その後ここで越冬するマガモは減少した。
2004.2.5 地下鉄幌平橋駅裏を流れる鴨々川。冬になり池が凍結すると鴨等の水鳥はここに来る。大暴れした台風18号来襲以前なので木々が多い。
2006.12.18 地下鉄幌平橋駅非常口工事中。この時期までは鴨(マガモ)は多かったが、その後少しずつ減ってきている。
菖蒲池に流れ込み菖蒲池から流れ出る鴨々川分流
鴨々川は中州橋で本流と分流に別れる。本流は中州第2号橋の下を流れ、札幌コンサートホール・キタラ裏を流れて中島橋を通り再び中島公園に入る。一方、分流は中州第3号橋からキタラ広場前を経由して菖蒲池に注ぎ、更に菖蒲池を出て中島児童会館の下を流れ、水天宮橋前で鴨々川本流に合流する。
鴨々川本流から分かれた水は、ここから菖蒲池に向け流れる。水門中央の水が流れる部分に板をはめ込むことで菖蒲池に入る水量を調節できる。両側に小さな丸い穴があって水門を閉めても必要最小限の水は池に流れる構造になっている。しかし、この穴は落葉などで詰まることがある。
キタラ広場前を流れる鴨々川分流は浅く、子供たちの水遊び場にもなっている。左上に見える橋から菖蒲池に注ぐ。池は豊平川の水で満たされている。
菖蒲池の河口前に架かる橋。名前はないので[河口橋]と勝手に命名。
風光明媚な中島公園は藻岩山を借景とし、菖蒲池を中心に造られている。
水はは菖蒲池北側から流れ出て、こぐま座裏を流れ児童会館の下をくぐり、水天宮橋前で鴨々川本流と合流する。
再び合流した鴨々川を水天宮橋上から撮影。赤い橋の向こうが南九条橋。この橋から中島公園を出る。そして薄野を曲がりくねりながら流れ創成川へ。
今(21世紀)の鴨々川 ~出来事とイベント~
昔のままの流れを持つ鴨々川で、今でも見られる自然の営み。そして破壊と再生。汚染した鴨々川に清流が戻ったが、ホタルは定着しなかった。下の画像のヤナギ並木は64本あったはずだが、今は十数本しか残っていない。
台風後に危険木と診断され伐採されたヤナギ。ヤナギの若木に植え替えられることもなく次第に減っている。新しく植えられるのは、ほとんどどイチョウ。
詳細は、こちらをくっリック! → 失われた景観 ~鴨々川ヤナギ並木~
2004年7月18日 薄野の鴨々川で鴨の赤ちゃん誕生!
札幌の繁華街ススキノで鴨(マガモ)の赤ちゃんが誕生した。ここは鯉の放流場で川上も川下も鉄柵で閉ざされている。飛べないヒナを連れた母カモは、そこからの脱出を試みるが、ことごとく失敗する。自分ひとりなら飛んで行くこともできるが、母は決して子等を見捨てない。
2004年6月20日、南8条に架かる藻山橋から鴨々川を見ると石の窪みに生えてている雑草の中に鴨が居た。よく見ると卵を抱いているようだ。
7月18日、巣立ったばかりのヒナ8羽を連れた母鴨が泳ぎ回っていた。両岸は絶壁に阻まれている。ここから登ることはできない。寄ってくる鯉も不気味だ。
上流に行っても下流に行っても鉄柵に遮られてしまう。ここから脱出する全ての試みは徒労に終った。鉄柵の前で途方にくれる母と子等が哀れだ。
親子鴨の運命は? 詳細はこちら→ススキノの鴨の赤ちゃんを助けて!
2004年9月8日 台風第18号が鴨々川に残した爪跡
南14条橋下流の鴨々川でも多くの木々が倒れた。
札幌コンサートホール・キタラ裏の鴨々川沿いの柳被害も大きい。
2005年7月3日 鴨々川決戦! カラス対母カモ
カラス対鴨(マガモ)の対決! 戦う姿勢を見せるのは母鴨だけ。側に雄鴨が居たとしても知らん振りしている。猫が岸辺で子鴨を狙っていると母鴨は猫に向かってガーガーと威嚇する。カラスに対しても同様。7月3日、中島公園内の鴨々川でカラスと戦う母カモの姿をカメラで捉えた。
詳細はこちらをクリック! → 2005年7月3日 母は強し戦う母鴨
戦いは今でも起こる → 2014年5月31日 も同様な戦いが
2006年1月6日「鴨々川に異変、鴨はどこへ?」で道新に取材協力
鴨(マガモ)が水場を探して右往左往している。空には鴨の群れが水場を探しに飛び回る。行動が例年と違い異常な感じさえする。池が凍ると鴨は水場を求めて川に来る。しかし川まで凍結してしまった。河川工事の影響ではないだろうか。工事で水の流れが弱くなり凍結し水場を失ったのである。
2006年1月6日「北海道新聞」朝刊に掲載された記事「水場消えカモ受難」の取材に協力。写真も2枚提供した。キッカケになったのは次のページ。
詳細はこちらをクリック! → 鴨々川に異変(凍結)、鴨はどこへ?
元旦が一番寒く、幌平橋駅裏も行啓通り沿いはすっかり凍結。3日になると凍結もだいぶ緩んできていた。鴨が地下鉄駅入口まで登って来たのを初めて見た。よほど腹が空いていたのだろう。画像は地下鉄幌平橋駅2番口付近。
2006年2月20日 鴨々川導水菅敷設工事本格化
既にいろいろ影響が出始めている導水菅敷設工事だが、ここに来て工事も本格化、いよいよ導水菅を埋める工程。
2007年11月5日 鴨々川に迷い込んだサクラマス
中島公園を流れる鴨々川にサクラマスが見られるようになった。
鴨々川に清流が戻ってきたからに違いない。「クリーン鴨々川清掃運動」の成果と喜んだ。しかし何か違うような気がする。鴨々川は豊平川の下流に位置する。サクラマスが遡上するはずがない。ここで自然の営みが出来るのだろうか?
サクラマス遡上騒動の顛末はこちら → 鴨々川に迷い込んだサクラマス
今(21世紀)の鴨々川 恒例行事
鴨々川・野外彫刻清掃 毎年春秋二回実施
クリーン鴨々川清掃運動は2014年6月で25回目を迎えた。そして、2011年より、「札幌彫刻美術館友の会」の野外彫刻清掃と合同で実施している。
「河川は心のふるさと、皆の力で自然環境を守り育てよう!」「街なかの美を守ろう」をスローガンに、毎年春秋2回、河川清掃と彫刻清掃が行われている。
詳細及びバックナンバーはこちら→鴨々川・野外彫刻清掃「中島パフェ」
曙地区第8分区町内会、中洲橋付近の鴨々川清掃
1978(昭和53)年4月に開催、以後継続。 札幌市公文書館所蔵
毎年8月15日 鴨々川とうろう流し
1981(昭和56)年より開催されている。みその橋上流に仮橋を架け、そこから灯籠を流す。南14条橋の下流で回収する。 妙心寺主催
とうろう流しの詳細はこちら→ 灯籠流し札幌市中島公園鴨々川
昔(2000年以前)の鴨々川
昔の鴨々川は風情のある柳並木だった。 札幌市公文書館所蔵
鴨々川は市街地に残された最大の歴史的自然資産と思う。中島と呼ばれる地域は豊平川本流と鴨々川と呼ばれる分流に囲まれた巨大な中洲だった。後に南6条で創成川に繋がれ豊平川への流れは創成川への流れに変わった。
南17条西4丁目の豊平川分岐点から分かれて鴨々川として流れ、南6条西1丁目辺りで再び豊平川と合流する。言い換えると中島公園は豊平川の大きな中洲に造られた公園である。
豊平川の流路は本流だけでなく様々な分流があったと考えられている。その中で現在も形を残しているのは鴨々川だけ。その外は全て地上からは姿を消している。
又、通称「新川」と呼ばれた人工の水路が薄野辺りの鴨々川から枝分かれして西5丁目に沿って植物園辺りまで流れていたが、昭和初期の下水道暗渠化により姿を消した。このような話を札幌建築鑑賞会の「大人の遠足」で聞いた。
北海道開発のため河川を含むほとんどの地域が跡形もなく消滅した中で、形を残している鴨々川は極めて貴重な存在と思う。「北海道遺産」に選定されるべき自然資産と考えているがどうだろうか? 北海道遺産へのリンクはこちら。
豊平川が作る札幌扇状地を流れ、流域は全面が平地で、札幌の市街地である。薄野付近の南7条までの上流は鴨々川と呼ばれ、流路が蛇行している。南6条から下流は流路がほぼ一直線になり、創成川と名を変えている。
創成川は、明治初期に人の手で掘られた人工の水路。それに対し豊平川の分流である鴨々川は自然の川らしく曲がりくねっている。
明治のころには現在の南7条付近の川沿いにリンゴやナシの果樹園もあり、住宅が多くなったのは1918(大正7)年に開道50年記念博覧会開催のころからである。因みに、その頃の札幌人口は95,000人程度だった。
1955(昭和30)年ころまでは川の水が綺麗だったので、染めた反物を川の水を利用して水洗いする呉服屋や染物屋が多かった。住宅が増えるにつれて生活排水や、空き缶などのゴミが棄てられ汚染して行った。
その後、下水道の普及や川の清掃の奉仕を続けている町内会やボランティア団体の活動の成果もあって清流が戻ってきた
1977(昭和52)年7月、中洲橋 札幌市公文書館所蔵
現在の鴨々川は、1975年に始まった整備で、水遊び場やコイの放流施設のほか川沿いに歩道が整備されていて絶好の散歩道となった。
コイの放流施設は、萩市や岡山市、津和野町などを参考として1980年に藻山橋の両側250メートルの区間に造られたものである。
札幌市公文書館所蔵
開拓使は、鴨々川を創成川につなげ、豊平川から取水して創成川を物資輸送に活用した。その途中に造ったのが現在の菖蒲池のルーツ元衛門堀と呼ばれた貯木場である。
又、洪水対策として、1871(明治4)年、豊平川の取水口に鴨々川水門(現・創成川取水樋門)を建設した。洪水時は水門を閉めて市街への氾濫を防いだ。当時は、鴨々川水門付近と南6条付近から氾濫することが多く、市街地の左岸一帯は堤防もない無防備な状態で大きな被害を受けていた。
1977年2月豊平川、鴨々川の水門から上流を見る。場所は中央区南17条西4丁目の堤防下。対岸は中の島。 札幌市公文書館所蔵
趣味の雑文 鴨々川物語
中島公園に関する資料を作るつもりで「中島パフェ」の更新を重ねている。ときには気分転換で雑文を書いている。自分の為の気分転換だが、読んでもらえれば励みになる。
私はカモかも? そして鴨々川
初めて出会ったのは橋の上だった。「男運が悪くて、いつも騙されてしまう女は、橋から身を投げようとしている」これはフランス映画「橋の上の娘」。
薄野界隈の橋から鴨々川をじっと見ていると、妙齢の女性に声をかけられた。 私と同じ様に、コイを探しているのだろうか。
「何か探しているのですか?」
「コイです」
「楽しそうですね。見つかりましたか?」
楽しい気分もあるが、心配もしている。居るはずのコイが見えない。
「いや、まだのようですね。冬は養鯉業者に預けてあるのです。そろそろ帰って来てもいいはずなんですよ。川底を深く掘ってコイをここで越冬させる手もあるのに勿体ないですね。預かり料も安くないと思いますよ。だいたい1メートル50センチくらい掘ればコイも越冬……」。 ありゃりゃ?
私に話しかけた女性が見えない。よくぞ聞いて下さいましたとばかりに、一気に説明したのだが…、まったくもう、興味がないのなら聞かないでくれ!
数日して同じ場所を通ると、橋の上に例の女性が立ち、通りすがりの男性に声をかけている。なるほど、声をかけるのが彼女の「仕事」なのだ。
そして私はカモと思われたらしい。ちなみにここは鴨々川。
ところで薄野の鯉放流場だが、その後川底を深く掘り、今ではコイが越冬できる様になっている。氷まじりの鴨々川では橋の下にコイの姿がよく見られる。私が見たときは横一列になって、コイは揃って上流に向いていたが動きがない。
強くて明るい女性たち
2007年の秋、中島公園は「サクラマス遡上騒動」で大騒ぎだった。遡上なら鴨々川を上るはずなのに降ってきている。それでも皆喜んでいた。
しかし、鴨々川でサクラマスの死骸をカラスが突っつくのを見かけるようになってからは人々の反応は変わった。このまま放置してはまずいのではないかと。
専門家の話ではサクラマスが中島公園に来たところで、生の営みは出来ないという。鴨々川のサクラマス遡上・産卵の新聞報道があってからは、観察に訪れる人も多くなった。
2007.9.28 サクラマスが現れた対山橋下流。詳細→迷い込んだサクラマス
サクラマスを驚かさないように、そっと写真を撮っていると後ろから声がする。
「あ~、だめだめ。 もっと姿勢を低くしないと」
振り向くと年配だが、かなりお洒落な女性が立っている。
「私、写真屋に勤めていたのよ。カメラ持ってこなくて残念だわ」
「(姿勢を)低くすると水面が反射して光るんですよ」
デジカメだからモニターを見ながら撮っているので、反射しているかどうかは言われなくても分かるのだ。それでも彼女は指示を連発する。
「もっと低くしなけりゃダメ! 水面ギリギリで撮るのよ」
無茶を言っちゃー困る。そんなことできる訳ない。身体は固いし腰痛もちだ。しょうがない。切り上げ時だなと立ち上がる。
「あら、もう帰るの?」
”あなたが居たのでは落ち着いて写真も撮れません”と言いたいのはやまやまだが、口から出さずに飲み込んだ。
「ご指導ありがとうございました。きっといい写真が撮れていると思いますよ」
「そ~ぉ。これからなのに~」
しばらく木の陰に隠れて、彼女が立ち去るのを見届けることにした。
「さあ、撮るぞ!」と再び鴨々川に近づくと、今度は違うおばさん。サクラマスをじっと見て「美味しそうだね」と一言。
「食べちゃだめですよ」と冗談めかして言うと、
「食べられないよ~。 私、獲れないから~。 ワハハハハハ、ワ~ハッハ~、ワ~ハッハ~」
サクラマスはなかなか撮れなかったけれど、笑いがとれてしまった。
しかも、こんな簡単に。
家に帰ってつぶやく。
「小さな幸せ、いっぱいあるけど大きな幸せないなぁ」
「あんたに大きな幸せなんか来たら、ビックリして死んじゃうよ」
そうかもしれない。そんな終わり方もいいかもしれない…。
ピンピンコロリ、ピンコロリ、ピ ン コ ロ リ~。
思わず、♪しとしとぴっちゃんの節で歌ってしまった。
歴史の面影が残る薄野との関わり
中島公園と薄野の共通点は、その歴史にあると思う。それが鴨々川という残された唯一の自然が繋いでくれている。
2005年2月7日~15日「すすきの氷の祭典」氷像スポンサー
左から氷の女王、氷像「白いターゲット」、「中島パフェ」と書いた看板。
「さっぽろ雪まつり」と同時開催の「すすきの氷の祭典」。「中島パフェ」はご近所の由緒ある街、薄野を応援する気持ちで「すすきの氷の祭典」に協賛サイトとして参加した。担当氷像は「白いターゲット」、制作は札幌パークホテル。
2007年6月3日 薄野を流れる鴨々川の清掃
公文書館前の鴨々川、左は南川商店、右は後に「鴨々堂」となる民家。
「河川は心のふるさと、みんなの力で自然環境を守り育てよう!」との趣旨に賛同して「鴨々川を清流にする会」の主催する鴨々川清掃作業に参加した。
2011年6月7日 薄野の野外彫刻清掃
彫刻を清掃する「すすきの振興会」と札幌彫刻美術館友の会の方々。
薄野には「午前0時の会話」「上機嫌な星」等、ユニークな名のついた野外彫刻がアチコチにある。「すすきの振興会」が、これらの彫刻の清掃を実施した。協力したのは「札幌彫刻美術館友の会」。私も微力ながらお手伝いさせて頂いた。いつも歩いている街が綺麗になるのは嬉しいことだ。
2014年7月5日 大人の遠足、初夏の編で薄野散歩
左から鴨々堂、園生橋、道路の向こうに公文書館(旧豊水小)、南川商店。
札幌建築鑑賞会のご案内で、薄野の歴史を訪ねて歩いた。薄野はリニューアルされた札幌駅前周辺とは対照的に歴史の面影が色濃く残る街。そして鴨々川が蛇行する風情のある街である。190万都市札幌には現代的な駅前と歴史ある街の二つの顔が必要と思う。歴史ある街は風情のある鴨々川流域が相応しい。
狸小路以南の札幌は歴史の面影を所々に残している。その中で特に色濃く残しているのが鴨々川沿いと思う。大通公園の北側は札幌駅前を中心に大きく変わってしまったが、明るく機能的でお洒落な街である。これは新しい札幌の顔になると思う。地下歩行空間のある便利な街、ファッションの街でもある。
札幌市の歴史は大まかにいって150年程度。今までは開発に忙しく振り返る余裕はなかったと思う。最近になって歴史を意識する動きが高まっている。 そこで必要になったのはもう一つの札幌の顔、言うまでもなく歴史ある街である。
それを開発し尽くされた新しい札幌、札幌駅前から大通にに求めることは無理がある。この役目は狸小路以南の札幌市南部で果たさなければならないと思う。そしてその中心は鴨々川界隈が最も相応しいのではないだろうか。