「本編」のテキスト版。
急げ!若者 平均寿命までたった8年
「急げよ急げ生きているうちに、自分の道は自分で選ぼう♪」フォーリーブスが歌った『急げ!若者』の一節が好きだ。これ以上若くなれないので今が一番若い。それなのに平均寿命まで8年しかない。急げ若者!
人生最終楽章の仕事は次世代への継承と思う。職人なら長い時間をかけて弟子に継がせることが出来る。しかし私には継がすべき技がない。そこで中島公園を良好な状態に維持して次世代に継承することにした。
個人の人生は一瞬であるとしても、人類の歴史は永遠であれと願っている。今は人生の第4楽章に居る。しかし、もうちょっと時間が欲しい。
日本人男性の平均寿命を80歳とすると後8年しか残っていない。それでは足りないので20年付け足すことにした。ベートーベンの第九は「合唱付」と聞いている。ならば私の人生は「オマケ付」にしたい。
せっかくのオマケ、遊んでいてはもったいない。 人生の第4楽章はアンダンテかな?「歩くような速さで」行こうじゃないか。 とか考えながら「中島パフェ」の更新に精を出している。 そして10年たった。
2003年~2009年の歩み 一生懸命PR
2003年3月、「中島パフェ」を開設してみたものの殆どアクセスがなかった。この状態は2004年11月、Yahoo!Japanのカテゴリに掲載されるまで続いた。その後、札幌テレビ(STV)に台風の写真を掲載したり、読売新聞のインタビューなどを受ける機会に恵まれ、アクセスも徐々に増えてきた。
この経験は私に、ホームページ(HP)を開設しても、宣伝をしない限り誰も見に来ないとの信念を植えつけた。情報発信しても受け手がいなければ意味は無い。そう思い込み一生懸命宣伝した。その結果「宣伝しなければアクセスは増えない、宣伝すれば嫌われる」というジレンマに陥ってしまった。
しかし、宣伝はやめられない。 「中島パフェ」の訪問者が増えれば中島公園に関心を持つ人が増え、それが最終的には中島公園を良好な状態に維持して次世代に継承することになる。こう考えているからだ。
頼まれれば「待ってました!」とばかりに何でもやった。地元の「山鼻新聞」に記事を書き、道新コラム「朝の食卓」の執筆もした。 地元のFMコミュニティラジオで中島公園のことを話し、UHBテレビでは「中島公園は豊平川花火の穴場」とか紹介したこともある。
極めつけはマイHPと同名のパフェ「中島パフェ」をノボテル札幌に作ってもらったことだ。 頼んではみたものの、まさかホントに作ってメニューに加えるなんて夢にも思わなかった。 詳細 → 中島公園のパフェ
中身のないものを宣伝するわけにはいかないので、頻繁な更新で鮮度を保ち、豊富な情報でニーズに応えなければならなくなった。こうなると個人ではとても対応できるものではない。方針転換を迫られることになってしまった。
振り返ればバタバタしていただけ → 「中島パフェ」の活動記録
読み直してみれば自己PR臭がプンプンしている。 しかし、一生懸命だったから反省する気も起きない。遅すぎた青春?の思い出として残すことにした。
2010年~2012年の歩み 地に足をつける
「中島パフェ」開設以来6年たつが、PR中心の活動に終止符を打つことにした。中島公園の指定管理者が代わり新たに公式サイトが開設されたからだ。それに園内諸施設サイトの情報提供も充実、こちらでPRする必要性も薄くなった。
代わりに中島公園関係資料の収集・蓄積に重点を移した。同時に楽しんでもらう為というよりも、自分の楽しみで駄文を綴っている。「真面目半分冗談半分」のつもりだ。「真面目でなくては意味がない。楽しくなければ続かない」。勝手な思い込みだが、楽しみはボランティア活動のエネルギーと思っている。
2010年~2012年2月上旬開催「ゆきあかりin中島公園」
実行委員会には委員として参加したが主として情報発信で協力。
関連情報をいち早くブログで発信 → 第7回ゆきあかりin中島公園
2010年9月~2012年8月
市民活動サポ-トセンタ-「札幌まちづくり総合情報ポ-タル」運営委員
中島公園を含めた街づくり全体を考えるきっかけとなった。
2011年10月「中島公園の資産と今後の活用について考える」
シンポジウムにパネリストとして参加。 関連 → 中島公園を考える
2011年12月~2012年1月「中島公園三十三選選定委員会」
委員として選定作業に参加 選定結果 → 中島公園三十三選決定
2012年3月「中島公園ぶらり写真旅」 → 中島公園ぶらり写真旅
主催は「札幌まちあるき事業検討実行委員会」だが中島公園近所の住民として協力。街全体を博物館と捉える「札幌まちあるき博物館」のイベント。
2012年7月「中島公園そぞろ歩き」創造学園豊平塾で講演。
彫刻を巡る中島公園散策。「札幌彫刻美術館友の会」主催の彫刻清掃、彫刻劣化防止作業、その他中島公園全般についての活動を中心に紹介。
ところで、中島公園の歴史について活動との関連で考えてみた。「中島公園の資産と今後の活用について考える」、この場合の資産とは歴史的資産。
そして「中島公園三十三選選定委員会」で選ばれたものも、ほとんどが歴史的資産。「札幌まちあるき博物館(中島公園エリア)」のテーマは「水と歴史の路を行く」。その他、野外彫刻にしても、全てが中島公園の歴史に関係している。
中島公園内に多くの歴史的資産がある。そして中島公園自体が歴史ある公園と言われている。そこで「中島パフェ」のこれからのテーマは歴史と決めた。
さっそく明治時代の歴史から調べてみた。競馬場、岡田花園と調べを進める内に歴史をテーマにすることがいかに難しいことかに気が付いた。
そして、情報を収集し真偽を確認、証言を集めて整理する作業は素人の私には無理と悟った。残り少ない人生だから時間の空費はしたくない。自分に何が出来るかよく考えてみた。
2013年~ 活動のテーマは「21世紀の中島公園」
やることは変わるが、中島公園を良好な状態に維持して次世代に継承する。 これを目的として「中島パフェ」の更新を続けることだけは変わらない。
幸い私には三つの優位性がある。それは時間・場所・時代である。自由に使える時間を沢山もっているし、取材対象である中島公園に隣接して住んでいる。 そして、2001年すなわち21世紀初頭に中島公園の近所に転居して現在に至っている。テーマは決まった「21世紀の中島公園」。
もう迷っている余裕はない。私の役割は21世紀と共に生きること。もちろん中島公園と一緒にだ。2001年から撮り貯めた写真に、そのときの記憶を記し整理して纏める。そして、その後の21世紀を加え続ける。
私が活動できなくなったら何方かに引き継ぎたいと思っている。仮に希望通り引き継げなくても肝心のスタートの部分は完成する。歴史的資料として役立つものなら何らかの形で引き継がれるものと信じている。
出来るだけ長く継続するため健康には人一倍気を使っている。生きがいと健康、まさに一石二鳥ではないか。我ながら名案! この記録が次世代の方々の役に立てれば、こんな嬉しいことはない。
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