小学4年生70名を前にして中島公園の話をした。こんな嬉しいことはない。なぜなら「中島パフェ」開設の目的は次世代への継承。中島公園をより良い状態に維持して次の世代に引き継ぎたいと思っている。
地元の小学生に中島公園は面白い所と思ってほしい。そういう趣旨で話したが、生徒たちの注意を引き付けるため珍しい画像も用意した。何ぶん初めてのこと、少しでも興味を持ってもらえればと願っている。
この出前授業は「4学年の総合的な学習の時間において『中島公園について知ろう!』という学習にかかわる」ものと伺っている。
小学生に話す経験はないので画像を使って説明することにした。年齢差を考えると言葉に不安があったが行儀よく聴いてくれた。スライドショーで「ゆきあかりin中島公園」が映ると微かなどよめきが起きた。ちょっと喜ぶ
何よりも嬉しかったのは質問が沢山あったこと。1918年開催の開道50年記念北海道博覧会に関する質問もあった。これは事前に勉強してなければ出来ないこと。そして菖蒲池はいつ命名されたのかとか私自身疑問に思っていることも質問された。小学4年生が郷土について勉強していることを知り頼もしく思った。
「開道50年記念北海道博覧会」中島公園で開催。札幌市公文書館所蔵
後ほど送られた感想文により、多くの生徒さんが「幻のオリンピック」の話に興味を持ち、覚えていてくれたことが分かった。
1940年開催予定の第5回オリンピック冬季大会は札幌に決まったが、戦争の為中止。中島公園のオリンピックは幻におわった。
中島公園はスケート会場として、スピード、ホッケー、フィギュア競技が開催の予定だった。着々と準備が進む中での中止である。
もし予定通り開かれていたら、その後の中島公園は変わっていただろう。
生徒さんと一緒に残念な思いを共有できたことは一つの収穫と思っている。なぜならオリンピックが出来るということは、曲がりなりにも平和の証なのだ。因みにオリンピックは1940年に引き続き1944年にも中止。この間に起こった第二次世界大戦の被害者総数は5千万~8千万人と言われている。多すぎて正確な数は不明なのだ。
オリンピックの画像は札幌市公文書館所蔵
全国的にみて札幌は人気の高い都市だが、中島公園の人気はいまひとつである。2011年9月の北海道新聞によると1位が大通公園で、ラーメン横丁、時計台と続き中島公園は圏外。ある専門家は公園設計が不人気の原因と指摘する。
逆に言うと伸びしろの大きい公園。風光明媚で交通便利と立地はよい。一方、欠けているのが近隣住民や札幌市民の声と思う。しかし、数年前から中島公園の魅力を見直す動き出始めている。
街づくりは息の長い事業だから、実際に活躍するのは今の小学生くらいと思う。札幌市が観光都市を目指すなら立地と歴史からみて中島公園は欠かせない。この時期に小学校の授業を手伝えたことは意義深いと思う。