中島公園について専門家の意見を聴く機会は意外に少ない。貴重な経験と考えるのでここに掲載。活動の指針にしようと思っている。
2013年12月25日16時~18時、東京のS大学、K教授とPホテルでお茶を飲みながら中島公園について話し合う。先生の専門は造園学で自然公園の計画・管理・運営上の課題についても研究している。
1982年の中島公園、平成の再整備以前。 札幌市公文書館所蔵
今回は中島公園の調査研究にとりかかる為に札幌に来られたと伺った。今後の参考に内容について覚えている範囲でメモして置くことにした。
街の近くに菖蒲池と藻岩山、そして扇状地を流れる鴨々川。風光明媚ということで公園になった。それを守るにはキチンとした設計が必要だが今はない。百年前にはあったが無原則に変化したので再設計が必要となってしまった。
日本人初の公園デザイナーと言われた長岡安平が設計したのは、中島遊園地から中島公園と名を変えた1910年頃のことである。その後、博覧会が官主導で繰り返し開催された。施設が出来ては消えた。これが繰り返された。
明治以後の中島公園変遷については誰がどのような理由で変えたか分からない。それを知るために重要な古文書は個性的な字で書かれていて一部の高齢者しか読めない。その上、読める人が次第に減って行く。これが問題である。
平成の再整備についても、誰がどのような意図で行ったか分からない。どのような経緯で公園が変化してきたのか具体的なことが分からない。それが分かれば、これからどうするかも考えられる。肝心なのは具体的なやり取りである。
公園の全体像が出来ていない。体育センター、管理事務所、キタラ、文学館、児童会館、大中食堂、売店ミドリ(花月)、それぞれバラバラにある。公園の設計に統一した考えが必要である。
何となく空地に施設を建てる。あるいは移動した施設の跡地に造ることを繰り返しているようだ。例えば弥彦神社横の太い道路はなにか? スポーツセンターがあったころの車の出入りに関連して造られたのだろうか。その他諸々。
先ず、公園をキチンと設計して造ることが先決。公園全体のデザインを再検討する必要がある。行政は市民が騒がないと何もやらない。中島公園を大切に思う近所の住民が中心になって運動を起こすことが大切である。しかし、公園周辺は比較的新しいマンションが並んでいる。運動が起こりにくい環境である。
記憶を頼りに聞いた話を纏めた。無駄話は一切しないで、2時間にわたり中島公園の話を拝聴した。ここには書き切れないが、私が一番重要と考えたことを纏めたつもりだ。間違い勘違いを含むと思うので仮名とした。